招魂之碑(宗興寺) |
軍事遺物 |
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神奈川砲台における死者の招魂碑である。神奈川砲台とは、幕末、伊予松山藩が築造した神奈川台場(万延元年竣工)のことであるが、同砲台は明治新政府に引き継がれ、礼砲台として使われていた。明治32年に廃止された。従って、ここでいう死者とは事故等による死者なのであろう。 台石には、階級、氏名が刻まれているが、その刻字は「フォートの会会報《神奈川砲台招魂碑》」から転載させていただいた。 なお、この招魂碑については、同会報に詳しく書かれているので参照されたい。 「〜神奈川台場通信〜The Fort 2、2008.3、 編集・発行:フォートの会」 碑高108p、幅37.5p、厚さ24p、台石高44p。 所在:宗興寺(横浜市神奈川区) (刻字) 碑正面: 「招魂之碑」 左側面: 「爲神奈川砲臺死者建之」 右側面: 「明治十八年十二月」 *以下は会報より転載 台石正面: 「砲兵中尉 従七位 大八木吉亨 三等軍医 正八位 里見太一郎 砲兵一等軍曹 比留謹吾 砲兵ニ等軍曹 水野源三郎 三等看護長 河合又兵衛 砲兵上等兵 中村辻太郎 同 丹波稔甫 同 田端次郎 砲兵一等卒 高嶋男也 同 田中兵一 同 笹部松太郎 同 鈴木新五郎 同 城處惣五郎 同 平林忠次郎 同 臼井富三郎 同 山嵜浅七 同 斎藤新吉 砲兵二等卒 平本伊三郎 同 瀬田助次郎 同 宮寺縫次郎」 台石右面: 「砲兵二等卒 星野福蔵 同 小林榮蔵 同 瀬中與助 同 竹中鈴丸 同 高橋□捨 同 關喜□郎 同 山嵜竹冂凵 同 中村亀太郎 同 塚嵜益之助 同 峰尾弥五郎」 台石左面: 「砲兵二等卒 湯浅鷹助 同 松橋小□郎 同 栢木喜四郎 同 □谷戸大三郎 同 松本之次郎 同 野村喜四郎 砲兵ニ等喇叭卒 鈴木増五郎 看護卒 荒川平三郎 営舎主管御用掛 上原忠成 神奈川砲臺用達商人 小野□八」 |