歩兵軍曹山口道造碑(法性寺)

軍事遺物
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日露戦争に出征、負傷により一時帰国したが、再出征し、明治37年11月27日、203高地攻撃の際戦死された山口道造さんの慰霊碑。
明治38年8月建立。
碑文は明治期にもかかわらず平仮名交じり文である。碑の上部にメダルを取り付けていた跡が残されているが、どのようなメダルが嵌め込まれていたかは定かではない。
碑高270p、幅60p、厚さ35p、台石32p。
所在:法性寺(横浜市保土ヶ谷区)

(刻字)
碑正面:
「歩兵軍曹山口道造碑」
碑裏面:
「明治十三年十一月横濱住吉町に生る卅三年現役として第一師團入仝卅四年 駐屯軍として上海に派遣せられ卅五年歸朝卅六年除隊卅七年三月九日召集 □應し十九日第二軍□從し出征第一斥侯□撰抜せられ模範兵□り五月七日 盛京省□□石□上陸廿五日夜金州斥侯の際腰部挫傷廿六日南山役右大腿盲 貫銃創を負い東京澁谷分院に入六月卅日志願退院補充隊に入十一月八日志 願再出征十八日大連上陸第三軍一師團歩兵一聯隊十一中隊三小隊三分隊長 に補せられ廿七日夜二〇三地攻撃の為最先登突撃隊として第二鐡條網破 壊の際敵彈の為腹部貫通せられ遂に戰死す
 明治三十八年八月    御手洗南陽謹書」