横浜市戦没者慰霊塔(三ツ沢公園)

軍事遺物
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西南戦争から第2次世界大戦までの戦没者2万余柱の御霊を安置している。ここは、太平洋戦争中に建設が進めらていた神奈川県護国神社の場所である。しかし、完成を待たずして横浜空襲により焼失しそのままになっていたのである。横浜市が慰霊の地に選んだのも頷ける場所なのだ。 昭和28年3月に2本の塔と安置堂が建設されたが、戦後50周年にあたる平成7年に改修を受けている。 由来を記した2基の説明板が設置されているので下記に示す。
所在:三ツ沢公園(横浜市神奈川区)

(建立時説明板)
「慰霊等ご案内
この慰霊塔は、西南戦争以来、第二次世界大戦 に至る戦争犠牲者二万余柱の御霊を永年安置する ための慰霊塔であります。 慰霊塔は、二基の塔と、安置堂その他からなり 昭和二十八年三月、一〇〇〇万円の経費にて建設 されましたが、このうち七〇〇万円は、市民から の募金によったものであります。 塔は門を象徴しており、向かって左の塔は、高さ 十八米で上部を欠いてあり、下部に「昭和二十年」 の 五文字を浮き出してあります。 これは、今次大戦ではらった大きな犠牲と破壊 を表したものであります。 また、向かって右の塔は高さ二十五米で新生日本 が雄々しく、将来にむかって発展する姿を表した ものであります。  横浜市」

(改修時説明板):
「恒久の平和を願って
戦後50周年を迎えて、更なる平和への願いを込めて慰霊塔を改修 いたしました。 この慰霊塔は、西南戦争から第二次世界大戦までの戦争犠牲者 の御霊を安置するため、昭和28年3月に建設したもので、左の塔 は、先の大戦ではらった大きな犠牲と破壊を表し、右の塔は、新 生日本が将来にむかって発展する姿を表しています。 市民の皆様と共に諸霊の御冥福を心からお祈りし、戦争の悲惨 さを忘れることなく、恒久の平和を念じたいと思います。 横浜市は、21世紀に向かって、世界に開かれた国際都市づくり を進めていますが、ピ−スメッセンジャー都市として、今後とも 積極的に国際交流活動を展開し、相互理解を深め、世界の平和と 発展に貢献していきたいと思います。 平成7年11月1日  横浜市長 高秀秀信」