忠芬義芳(三ツ沢墓地) |
軍事遺物 |
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日露戦争に出征、明治38年3月9日、田義屯において戦死された神村鐡雄君さんの慰霊碑。 明治39年3月9日建立。篆額はあの大鳥圭介であり、撰書は明治時代の教育者である金井知義、書は地理学者の小林房太郎である。なお、碑裏面には、歌が刻まれているが不勉強のため判読できず。 碑高210p、95p、18p、台石約90p。 所在:三ツ沢墓地(横浜市神奈川区) (刻字) 碑正面: 「忠芬義芳(篆額) 勲八等神村鐡雄君之碑 君神奈川町人也父鐡三郎母留子生男七人君其第五 子也日露之役君入歩兵第一聯隊属第三軍攻旅順□ 殊功轉戰于奉天進至田義屯遂中彈斃年二十有三實 明治三十八年三月九日也越六月十七日葬遺骨于良 泉寺先塋之次君為人謙譲夙學英獨語遂入龍華菫摩 須商會勵精服務衆聞其死莫不歎惜焉嗚呼斯役之大 捷濺同胞之膏血以獲□乃君死亦可謂有榮於天下 明治参拾九年参月九日 金井知義撰 從二位 大鳥圭介篆額 小林房太郎書」 碑裏面: 「明治丗八年二月□□ 清國□・・・・ ・・・・・・・・ 神明町 石工 時枝寅之助刻」 |