忠魂碑(逗子配水池) |
軍事遺物 |
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日清、日露戦争戦没者の忠魂碑(忠魂塔)で、明治39年7月20日建立された。 当初、延命寺に建てられたが、震災により崩壊したため、六代御前の墓域に移され、その後、昭和10年に現在地に移されたという。 日清戦争戦没者1柱、日露戦争戦没者15柱、追刻された支那事変戦没者1柱の計17柱が合祀されている。所属別では海軍1柱陸軍16柱である。 林大佐は、明治37年5月の第三回旅順口閉塞作戦の指揮官であり、同年5月26日、鳥海艦長として南山攻撃援護作戦に参加し戦死された。 なお、基壇には、碑建立の経歴が刻まれている。 「此ノ忠魂碑ハ明治三十九年延命寺境内ニ創建セラレシモ大正十一年関東大震災ノタメ崩壊シタルヲ以テ翌年之ヲ六代御前塋域ニ移動シ更ニ昭和十年神奈川縣營水道配水地新設ノ際現地ニ移ス 逗子町長伊藤龍雄誌」 また、碑の前には紀元二千六百年記念して、大日本國防婦人會逗子町分會が、昭和15年9月に奉納した石柱が2本建っている。 碑高198cm、幅98cm、厚さ17cm、台石83cm、基壇166cm 所在:逗子配水池(逗子市) 碑正面: 「忠魂碑 海軍大将 東郷平八郎書」 碑裏面: 「明治二十七八年戰役死歿者 故陸軍歩兵一等卒 長谷川市蔵 明治三十七八年戰役死歿者 故海軍大佐正六位 勲三等功□級 林三子雄 故陸軍中佐從六位 勲四等功四級 □地□□ 故陸軍歩兵上等兵 勲八等功七級 橋豊吉 故陸軍歩兵上等兵 勲八等功七級 富野幸太郎 故陸軍歩兵上等兵 勲八等功七級 大瀧太郎吉 故陸軍歩兵上等兵 塚越七蔵 故陸軍歩兵一等卒 秋元慶次郎 故陸軍歩兵一等卒 石渡米蔵 故陸軍歩兵一等卒 武藤久治 故陸軍歩兵一等卒 勲八等功七級 松岡六蔵 故陸軍歩兵一等卒 林幸三郎 故陸軍歩兵ニ等卒 一柳歌吉 故陸軍砲兵二等卒 須田酉太郎 故陸軍輜重輸卒 宮ア兵助 故陸軍輜重輸卒 一柳福蔵 明治三十九年七月廿日建之 三浦郡奨兵義會田越村支會 支那事変變戰死者 故陸軍歩兵上等兵 大木弥助」 |
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