從軍追憶碑(五霊神社)

軍事遺物
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古くは戊辰戦争から太平洋戦争にわたる期間、小雀地区から出征した陸海軍軍人の従軍を追憶する碑として昭和52年9月に建立された。
追憶の詩と、長文の戦時回想のほか、99名の出征軍人名が生年順に正面、裏面にわたってびっしり刻まれている。
碑高163p、台石14.5p、基壇96p。
所在:五霊神社(横浜市戸塚区)


(刻字)
碑正面:
「従軍追憶詩 弓弦の頃はしらねども 戊辰の役を始めとし 大東亜戦の終わりまで 星霜遷移七拾余年 ここ小雀をあとにして 出征にし者や百余名 武運つたなく異國に 儚く散りし強者も 霊は還りて懐かしく 夜空の星の煌めきと なりて故郷に帰りなん 祖国敗れて山河あり 生きとし生ける我等あり 夢は戦野を駆けるとも 戦さの友のあつまりで 永遠の平和を祈りて 従軍の碑を建立し 追憶の詩を捧げなん 献詩 九斎
維時昭和五十二年九月吉日建立

陸海軍戦死者
  階級  氏名  生年
歩兵一等卒戊辰戦争 小泉辨吉 嘉永六年
憲兵軍属台湾四十五年勤務 浜野安藏 明治十五年
歩兵一等卒旅順二〇三地 三ツ橋重作 〃 十六年
海軍一等兵曹監視艇浮島丸 小間勝義 〃 三十七年
工兵兵長北支山東省 米倉盈 〃 四十年
工兵兵長支那盧橋鎮 濱野信明 〃 四十三年
海軍水兵長ボルネオ 川辺勇藏 〃 四十四年
輜重兵兵長ニューギニヤ 生駒一郎 〃 四十五年
歩兵軍曹河南省修武県 生駒幸司 大正二年
歩兵上等兵北支・天津 三ツ橋英雄 〃 三年
歩兵兵長フィリッピン 川辺常司 〃 三年
海軍機関兵曹長ソロモン島 杉山立好 〃 四年
工兵兵長支那湖南省 川辺貞夫 大正五年
航空准尉タイ・ビルマ作戦 三ツ橋信義 〃 五年
歩兵上等兵北支戦線 福田浩治 〃 七年
歩兵兵長北支戦線 岩沢繁光 〃 九年
歩兵上等兵馬来半島 浜野芳明 〃 九年
歩兵兵長オーストラリア 小泉茂 〃 十年
歩兵兵長太平洋グアム島 三ツ橋壽 〃 十二年
海軍飛行兵長小笠原島上空 矢部芳夫 〃 十二年
陸軍航空伍長立川航空隊 生駒英次郎 〃 十四年」

碑裏面:
「陸海軍從軍参加者
階級  氏名  生年
歩兵上等兵日清戦争 川辺長吉 明治六年
砲兵上等兵東京鎮台 小間勘四郎 〃 七年
歩兵伍長日露・旅順攻略 金子庄太郎 〃 八年
輜重兵一等卒日露・樺太出兵 川辺福重 〃 八年
輜重兵一等兵近衛輜重 長野宇八 〃 十年
海軍一等兵曹日本海戦旗艦三笠 長野常吉 〃 十二年
歩兵伍長近衛連隊 三ツ橋友重 〃 二十年
輜重兵一等兵近衛輜重 岩沢梅松 〃 二十一年
歩兵一等兵日露戦争シベリア出兵 小間源藏 〃 二十二年
砲兵上等兵青島事変参加 浜野房吉 〃 二十三年
輜重兵一等兵近衛輜重 生駒啓次 〃 二十三年
歩兵上等兵近衛連隊 長野福治 〃 二十四年
歩兵上等兵甲府連隊 米倉喜平次 明治二十八年
砲兵一等兵横須賀重砲 三ツ橋房太郎 〃 三十年
歩兵一等兵甲府連隊 三ツ橋富三郎 〃 三十年
歩兵伍長満州守備隊 小間佐治郎 〃 三十二年
輜重兵一等兵近衛輜重 生駒龍造 〃 三十五年
看護兵上等兵鉄道第一連隊 米倉要造 〃 三十六年
騎兵上等兵千葉習志野 今井鶴吉 〃 三十八年
騎兵軍曹満州牡丹江 川辺重雄 〃 三十九年
歩兵軍曹佛領印度支那 小泉福藏 〃 四十年
歩兵曹長朝鮮羅南 野島義夫 〃 四十年
海軍上等兵曹上海海戦隊 小間忠良 〃 四十一年
海軍少尉トラック島戦艦長門 山川長男 明治四十二年
歩兵伍長中支戦線 小間明雄 〃 四十三年
歩兵上等兵宮古島 小間一三 四十三年
砲兵兵長横須賀重砲 小間勘一 〃
歩兵曹長朝鮮羅南 小間正夫 〃
工兵上等兵近衛工兵 今井光次 〃 四十三年
歩兵上等兵南方戦線 大山光夫 〃 四十四年
陸軍准尉満州チチハル 今井正一 〃 四十五年
陸軍上等兵小笠原父島 金子?次 〃 四十五年
歩兵軍曹南京・上海 岩崎常吉 大正二年
階級  氏名  生年
海軍飛行兵曹長十二月八日ハワイキスカ作戦 浜野猶吉 大正二年
陸軍兵長ソロモン島 川辺善藏 〃
歩兵上等兵パラオ島 川辺多吉 〃
歩兵上等兵甲府連隊 杉山春雄 〃 二年
戦車兵伍長ジャワスラバヤ作戦 増田富雄 大正三年
騎兵上等兵満州ハイラル 岩沢藤一 〃 三年
砲兵上等兵中支ウスン上陸作戦 川辺政治 〃 三年
海軍機関兵曹長戦艦武蔵トラック島 小間平八郎 〃 四年
歩兵兵長中支戦線 小泉昌義 〃 五年
工兵兵長満州建築隊 長野敏三 〃 六年
騎兵伍長北支戦線 増田正夫 〃
輜重兵曹南支戦線 生駒茂 〃
海軍衛生少尉ラバウル(氷川丸) 中橋勇次郎 〃
海軍整備兵長北海道千歳 山田勇 〃
工兵一等兵朝鮮京城 杉山清 〃
歩兵上等兵ノモンハン・マニラ 小間武男 〃 七年
歩兵伍長シンガポール 小間伊助 〃 七年
歩兵曹長上海・南京 矢部博 〃 七年
歩兵上等兵内地勤務 今井登 〃 八年
歩兵兵長中支戦線 小間太郎 〃 八年
砲兵伍長満州國從軍 浜野武雄 〃
歩兵伍長満州ハイラル 杉山利吉 〃
輜重兵上等兵中支戦線 川辺福藏 〃 八年
歩兵伍長北支派遣 長野忠衛 〃 九年
歩兵伍長北支戦線 生駒育三 〃 十年
陸軍兵長ニューギニア島 杉山武司 〃
砲兵兵長中支戦線 浜野浦造 〃
砲兵上等兵中支戦線 岩沢芳男 〃
歩兵上等兵近衛歩兵 小泉八郎 〃
航空准尉満州航空隊 米倉喜男 〃 十年
歩兵伍長北支戦線 長野精三 大正十年
歩兵伍長中支戦線 浜野源吉 〃
海軍整備一等兵曹テニヤン・ペリリュー島 浜野喜作 〃
階級  氏名  生年
歩兵兵長北支戦線 杉山武 大正十年
歩兵上等兵満州シベリヤ 金子利夫 〃 十年
歩兵上等兵満州ハルピン 小間清志 〃 十一年
歩兵兵長北支戦線 生駒庄太郎 〃
歩兵伍長シンガポール 増田三郎 〃
歩兵上等兵北支・北京 岩沢勝男 〃
歩兵上等兵中支戦線 岩沢駒吉 〃
海軍一等機関兵曹キスカ比島沖巡洋艦摩耶 杉山安永 〃
歩兵軍曹沖縄戦線 小沢明 〃
海軍一等兵曹戦艦武蔵レイテ島 生駒光三 〃 十一年
海軍ニ等整備兵曹三重航空隊 福井安太郎 〃 十一年
陸軍少尉近衛・シベリヤ 川辺光夫 〃 十二年
海軍上等兵金沢・富岡 杉山輝雄 〃 十二年
陸軍少尉北支鄭州 金子薫 〃 十二年
海軍整備ニ等兵曹台湾 福田忠雄 〃
陸軍少尉千葉防空学校 長野忠 〃
主計少尉ニューギニア 長野司郎 〃
歩兵一等兵甲府連隊 杉山一雄 十二年
航空整備上等兵大阪大正飛行場 長野豊 〃 十三年
歩兵上等兵中支戦線 吉野明 〃
歩兵軍曹満州奉天 藤田f 〃
歩兵一等兵内地勤務 浜野佐吉 〃 十三年
歩兵軍曹内地勤務 生駒禧八 〃 十四年
陸軍少尉近衛輜重 小間和夫 〃
歩兵上等兵東京麻布連隊 福田治三郎 〃
憲兵上等兵千葉憲兵隊 小間実 大正十四年
歩兵一等兵内地勤務 小間繁男 〃 十五年
歩兵一等兵宇都宮連隊 長野政五郎 〃 十五年
海軍一等水兵千葉・館山 三ツ橋栄治 〃 十五年
陸軍一等兵九州・宮崎 川辺秀夫 〃 十五年
海軍一等水兵千葉・館山 川辺喜義 〃 十五年
海軍ニ等飛行兵曹三重航空隊 生駒武敬 昭和二年
陸軍航空伍長立川航空隊 生駒英次郎 大正十四年」

台石正面:
「戦時回想
 世に戦乱を渇望する者はあらざれど、厂史は戦乱と血臭を累積にほかならじ、殺戮と破壊の戦乱に正義の存在はなかるべし。百年の文化も一朝の瓦礫、勝者は常に正しく敗者は常に邪し、之れ勝てば官軍の由縁なり。就中、近代戦争は科学兵器の発達に伴い、人類の滅亡さえ危惧されるにいたる。 過去幾多の戦争に敗北をしらず、常勝の信念は自づから自負せる我国も、大東亜戦争に於て、故山の焼土と参百六拾余萬霊の犠牲のうえに平和を迎えたるは悲惨なり。  此処に戦時を回想し、世情の一端を誌し、追憶の資に供せむとす。  当時街頭には出征兵士の母妻等が立並び、白木綿の腹巻に、赤糸を結ぶ千人針に、一針を乞う風影随処に見受けらる。 死線 苦戦を脱するを祈り、五銭・十銭の硬貨を縫いつけしもの多かりき。 前線兵士の無聊を慰める慰問袋つくりに、愛国婦人会の白襷は活躍また盛んなり。在郷の男女は老いも若きも、竹槍訓練に励み、バケツ、火叩きで空襲を防がんとせしは、愚かなるも心情察するに余りあり、勇壮なる軍歌と、打振る日の丸の小旗に、颯爽と出陣する兵士は、一様に寄書せる国旗を肩襷に掛け、手には奉公袋を、懐中には召集令状を抱きて、揚々と生死の岐路を行進して行けり、留守家族は神社仏閣を詣で、陰膳を供えて、武運長久を願いたるものなり。  戦線はすでに、中国全土、東南アジア大平洋全域に拡大され、緒戦の勝利は、日を追うて利あらず、その頃米機の空襲しきりにして、大都市は灰燼に帰し、物資は窮乏し、食糧は配給となりて、国民の体力の衰えは顕著なり、軍需生産も亦著しく低下、前線えの補給は途絶え、孤立無援なるもの多し、禽獣を捕え草木を食して、孤島に戦えりと聴く  山本艦隊司令長官の師いる、超弩級戦艦武蔵、無敵を誇る帝国海軍、すでになく、零戦に名をはせし、空軍また然り、天皇は、軍部の執拗な本土決戦論を排し国民を救い、国家を維持するためには、忍び難きを、忍ばねばならぬと仰せられポツダム條件を受諾、御自らの玉音をもって国民に終戦を告げられる。  この時天皇は落涙されしと迫水書記官長は記述しおれり。時に昭和二十年八月十五日なり、かくして大日本帝国陸海軍は終焉し、民主国家日本の誕生を見たるも、未来永劫の平和を祈り念ずるものであります。」

台石裏面:
「從軍追憶碑建立発起人
長野敏三 小泉八郎 生駒光三 宮崎県都城市 浜野猶吉」