慰霊碑(白旗神社) |
軍事遺物 |
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品濃町における日露戦争及び大東亜戦争の戦病没31柱の英霊を合祀した慰霊碑。昭和54年5月3日建立。 全高約290p。 所在:白旗神社(横浜市戸塚区) (刻字) 碑正面: 「慰霊碑」 碑右面: 「顕功誌 曩に四海同胞の大仁徳を奉じ東亜民族開放と平和の基を建設すべく國を挙げて 大義の御旗を押し立てしも機熟さず去る昭和二十年八月十五日遂に終戰の詔勅を 仰ぐに至り茲に有史以来初めての國辱を受くるの已むなきに至りぬ。爾来今日に 至る間吾・吾は夢魔の如く変転せる 世界情勢の中に人間として 民族として 将亦同胞として幾多の悲しみと怒りと苦悩とを経て漸く今日の平和と地位を確 保するに至りたり。さもあらはあれ一度び散って帰り給はざる國柱の御霊を想えば 只々感慨無量なり。兄等かって聖業を扶翼すべく勇躍征途にのぼり 海行かば 水漬く屍、山行かば草むす屍と粉骨砕身 七生報国の規範を示し護國の鬼と 化したるもので天地黙々 花木粛々 老幼皆潜然として泣くのみ然りと雖も兄等皆武 門の本分を盡くし人間の帰期を得たるものにしてその徳は永遠に輝を其の功績は亦不滅なり 幸い今日世界の平和を理想とする國家として國運愈々隆昌し大明に文化に或は経 済に目覚しき発展を遂げ世界の日本として再起しつつある現状に鑑み英霊以って 冥する足らん。吾等有志茲に相集い慰霊と併せ 功碑を建立し兄等が勲功を 千載に傳えると共に報恩以って謝徳の意を表さんとするもの也 昭和五十四年五月三日 北大廿四世 一渓謹撰碑」 碑左面: 「品濃町戰歿者 戰歿者名 戰歿場所 戰歿年月日 松原松五郎 旅順二〇三高地 明.37.11.30 渋谷惣吉 支那江蘇省 昭.12.10.1 笠原弘吉 ニーギニヤマクワリ 昭.17.3.21 三宅周治 千葉療養所 昭.17.7.16 大山秀明 廣島陸軍病院 昭.17.8.26 笠原芳忠 南方方面 昭.18.4.26 大塚政信 南方方面 昭.18.4.28 清水育夫 フィリッピン近海 昭.19.2.8 葉山幸司 横須賀海軍病院 昭.19.2.23 阿奈克一 ヒヤク島 昭.19.7.10 斉藤直次 南方方面 昭.19.8.13 笠原竹治 中支湖南省 昭.19.11.8 鈴木時蔵 マリアナ郡島 昭.19.7.18 笠原留吉 ニーギニヤ 昭.19.7.18 金子和夫 サイパン島 昭.19.6.18 葉山豊吉 不 明 昭.34.9.11 戰歿者名 戰歿場所 戰歿年月日 金子馨 南支那海 昭.19.10.23 常盤作治 レイテ島 昭.19.9.15 金子盛蔵 ミンダナオカパサラン 昭.20.6.26 斉藤武雄 山東省済南 昭.20.8.26 斉藤政吉 ミンダナオ 昭.20.3.14 長谷川直吉 兵站病院 昭.20.10.12 長谷川常博 比島バギオ 昭.20.3.15 河合重三郎 東支那海 昭.20.3.24 梶野信吉 北千島 昭.20.6.18 中村梅吉 本州南方海面 昭.20.2.18 成瀬澤夫 マーシャル群島ウオツゼ島 昭.20.5.31 広瀬正次 陸軍病院 昭.20.2.26 生駒英次郎 本土大月 昭.20.8.13 金子金作 シベリヤ 昭.21.1.21 斉藤重雄 ソ連アルマタ地区 昭.22.6.1」 碑裏面: 「遺族芳名 昭和五十四年五月三日建立 (氏名)」 |