森菊松君碑(中田寺) |
軍事遺物 |
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日露戦争に従軍し、明治37年7月30日土城子附近にて、戦死された森菊松さんの慰霊碑。遺族らによって明治38年1月30日に建立された。なお、同寺の忠魂塔や中和田公園の忠魂碑にも合祀されている。 碑高153p、幅116p、厚さ17p、台石40p。 所在地:中田寺(横浜市泉区) (刻字) 碑正面: 「森菊松君碑(篆額) 大本山増上寺安誉大僧正篆額 夫梗慨就死易職責就死難□易就難國家干城皇家柱石令見其人 故陸軍歩兵上等兵森菊松君是也君明治十五年一月十六日生于 相模國鎌倉郡富士見村字汲澤父村伊左衛門二男資性沈毅□ 言三十年三月高等小學卒業三十一年九月爲中和田村森惣太郎 長女嶋子婿晴畊雨讀事舅姑孝三十四年應召入第一師團第一聯 隊第七中隊品行方正勤勉受賞三十七年二月十日 宣戰大詔煥 發士氣軒昂三月十九日從第二軍發東京上陸清國盛京省猴□石 撃攘十三里臺金州南山強敵世界列國耳目一集此勝敗所決關係 日露両國興亡然吾精鋭無比歩兵猛進勇闘遂抜之敵圀心膽為寒 列國耳目爲革連戰大勝君與有力轉属第三軍攻撃敵恃金城鐡壁 旅順外防御線占領土城子附近壘之際侵彈丸砲雨先進奮闘突入 敵陣不幸敵彈貫面部不屈進而斃官賞賜黄金若于行年二十三實 明治三十七年七月三十日噫悲哉旅順陥落迫目前日夫此良兵令 後戰局益感多要君既戰死吾輩痛恨何事若之君存餘裕殉其職責 天下萬世垂好範其功灼々其勲赫々可無遺憾有志相謀欲傳不朽 乞余銘敢不□銘曰 明治辛丑 丁壮入營 大詔煥發 萬里遠征 山岳義重 鴻毛死輕 金州砲轟 旅順劍鳴 従容戰歿 國家干城 吊魂立石 不朽其名 明治三十七祀臘月日 中田寺權大僧都香川法隆撰 中島富之助書 官賞勲功 建碑ノ後勲八等白色桐葉章並〃功七級 金鵄勲章ニ叙セラル依テ尾端ニ記ス」 碑裏面: 「明治三十八年一月丗日建之 有志者 鎌倉郡中和田村中田 森惣太郎 同 喜三郎 同郡富士見村汲澤 村伊左衛門 同網治郎 片瀬石工 秋元幸太郎」 |