故陸軍歩兵伍長功七級小山順治郎碑(中田寺) |
軍事遺物 |
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日露戦争に従軍し、明治37年9月6日174高地にて戦死された小山順治郎さんの慰霊碑。遺族らによって明治38年3月に建立された。なお、同寺の忠魂塔にも合祀されている。 碑高碑高312p、幅98p、厚さ11p、台石12p、基壇65p。 所在地:中田寺(横浜市泉区) (刻字) 碑正面: 「故陸軍歩兵伍長功七級小山順治郎碑」 碑裏面: 「嗚呼一伍長者一下士耳而忠勇義烈巍然炳然爲軍人亀鑑如陸軍歩兵伍長功七級小山順治郎君可勝痛悼哉君神奈川縣 相模國鎌倉郡中和田村中田人父曰兵右衛門其第四子母熊野氏以農治家資性沈勇毅敏明治十七年高等小學卒業二十 五年應召入第一聯隊第十一中隊二十六年依宮原中隊長選抜被分遣于陸軍戸山學校教導大隊勤勉爲他模範受教官清 水大尉賞状二十七年征清役起復元隊九月廿五日從第二軍發營屯地至清圀盛京省花園河口金州城激戰及旅順總攻撃 等各地轉戰屡立偉勲三官大帝廟突撃令出君猛進闖入門関奮闘宛如鬼神擧衆傾目称其膽勇立先登第一殊功二十八年 凱旋論功賞賜功七級金鵄勲章年金百圓名聲大振十二月爲横濱市金森桝吉氏所養従事商業擧三女矣三十七年征露大 詔煥發士氣軒昂報國鋭意不能抑止以身在後備軍請舅姑復籍生家蓋欲絶後顧憂也三月六日應召集入第十五聯隊第六 中隊六月八日發群馬縣嵜再上陸盛京省塩大澳捲張家屯参加安子嶺激戰再来轉進深入敵地夜襲連日連夜渉危嶮侵 雨露忍絶食甞艱辛使強敵滅裂潰走以功上進伍長尋於一七四地勇敢奮闘中不幸敵彈貫身陳没官賞賜黄金若干享年 三十二實明治三十七年九月六日何堪痛惜君康存日語曰皇國人民造次顛沛不可忘者誠忠實義惟此四字況在軍籍何惜 身命矣壮語使怯夫爲之立懦夫爲之奮君則一死報圀固出素願其功赫々其勲灼々謂之軍人亀鑑非溢美也有志相謀欲殊 勲傳不朽予乞銘不敢辭銘曰 戰死軽於鴻毛 任務重於山岳 捨身命况妻子 誠忠實義卓々 明治三十八年三月上浣 貯功徳山主權大僧都香川法隆撰 中島富之助書 施主 小山鐡五郎 仝 小山幾太 親戚惣代 戸塚町 大矢儀八 汲澤 森猪之助 石工 小川松五郎」 |