故陸軍歩兵一等卒山村柳助之碑(宝心寺) |
軍事遺物 |
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日清・日露戦争に従軍したが、明治38年5月20日清国鉄嶺の西方九里遼河の右岸籃楳保子にてコサック兵の襲撃にあい戦死された山村柳助さんの慰霊碑。昭和12年3月20日、遺族によって建立された。 中和田公園の忠魂碑にも合祀されている。 碑高194p、幅71p、厚さ13p、台石31p。 所在地:宝心寺(横浜市泉区) (刻字) 碑正面: 「故陸軍歩兵一等卒勲八等 山村柳助之碑 海軍少将從四位勲三等吉武純藏書」 碑裏面: 「故陸軍歩兵一等卒山村柳助は本村和泉田中徳左衛門の二男なり資性温厚篤実克 く農耕に努む明治二十七八年戰役に従軍し金州葢平等に轉戰して功あり賞金二 十五圓を賜はる同三十七年日露釁を開くや同年十二月充員召集に應し後備歩兵 第四十九聯隊第六中隊第三小隊に編入せられ翌三十八年一月征途に上る爾来各 地に轉戰し會て清國鉄嶺の西方九里遼河の右岸籃楳保子の小村に駐屯せしがコ サック兵の襲撃に遭ひ苦戰奮闘せしも衆寡敵せず一隊全滅の厄に遇ひ同人も與 に陣歿せり享年三十有九實に明治三十八年五月二十日なり官其功勲を賞し勲八 等に叙し白色桐葉章並金五百二十圓を賜ふ法謚は勇進院敢譽義山居士と號し同 年九月二十日村葬の式を以て遺骨を此地に埋む昭和十二年其遺子及び當家に哺 育せられし者等其恩徳を追慕し相謀りて此碑を建てゝ其功績を後毘に傳ふ 昭和十二年三月二十日 正七位勲七等 山田豊次郎撰並書 建設者連名 大川鐡五郎 持田宗造 山村芳松 鈴木助治郎 山村松之助 田中寅吉 諏訪間武松 小山嘉雄 長澤孝 山村清治 厚木町秋元石材店刻」 |