招魂碑(白山神社)

軍事遺物
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碑にあるように同社殿から出征していった大東亜戦争の戦没者28柱の招魂碑、平成11年9月建立。
碑高198p、幅190p、厚さ35p、台石60p、基壇65p。
所在:白山神社(藤沢市)

(刻字)
碑正面:
「招魂碑
薩田武義 中国南昌野戦病院 昭和十四年五月二十三日 三十九才
薩田一郎 中華民国廣西省霊山県 昭和十五年一月十七日 二十四才
黒川真作 中国山東省北支 昭和十五年一月二十九日 二十三才
吉原 良 インドメレマ高地 昭和十九年四月二十六日 二十六才
小菅一夫 南方海上(マニラ) 昭和十九年四月二十六日 二十一才
岡村幾造 サイパン島海上東方丸 昭和十九年六月一日 十六才
大川忠雄 サイパン島 昭和十九年七月八日 二十六才
小菅繁夫 江戸川丸 昭和十九年七月十八日 二十八才
野渡 久 テニアン島 昭和十九年八月二日 二十六
小菅辰治 西部ニューギニアワサリ 昭和十九年八月八日 二十五才
柳川義雄 ソ連シベリアクラスノヤルスタ 昭和十九年九月十七日 三十一才
小菅正道 東京第二陸軍病院 昭和十九年十月七日 二十七才
小菅文男 済州島 昭和十九年十一月十七日 三十二才
小菅吉治 昭南島 昭和二十年一月十九日 二十五才
川井貞男 西部ニューギニア 昭和二十年一月二十三日 二十九才
小菅一三 ビルマモネゴン 昭和二十年三月二十六日 二十三才
横山正平 フィリピンルソン島 昭和二十年四月一日 二十三才
小菅元吾   〃 ミンダナオ島 昭和二十年四月十一日 三十三才
小菅慶治   〃 ネグロス島 昭和二十年四月二十二日 二十五才
井上直治   〃 ルソン島 昭和二十年五月十一日 三十六才
大川和吉   〃 ルソン島モンタルパン 昭和二十年五月二十一日 三十七才
吉原小市 フィリピンミンダナオ島ピタリ 昭和二十年六月十八日 三十四才
小菅留次郎 サイパン島 昭和二十年七月八日 三十五才
廣田圭作 ビルマ 昭和二十年七月二十四日
廣田良夫 石川県陸軍病院 昭和二十年七月三十日 二十一才
麻生勇司 ソ連アムール川 昭和二十一年七月五日 二十一才
山口 享 フィリピンルソン島 昭和二十一年七月五日
新倉光治 不明  不明」

碑裏面:
「記 此の碑は日中戦争から太平洋戦争終結迄に、当地の白山神社、社殿にて祖国の為にと念じ 出征して大陸、孤島洋上に於いて、参戦し戦死をされた勇士の御霊を祭るもので有ります。 犠牲となられた尊い御霊の安らかなる眠りと併せて世界平和を祈念し遺族有志、並びに賛助者によって建立されたものです。   平成十一年九月吉日 建之
とこしえの平和を願い朝夕に御霊を拝む遺族らの声
賛助者
吉原キヨ 川井正男 戸田信定 小菅芳蔵 小菅光夫
遺族有志
麻生典枝 長後四二七−三 井上忠治 下土棚四六二 大川和之 下土棚二〇九二
大川清治 下土棚二〇八〇 岡村ヤエコ 下土棚三九四−八 川井友子 下土棚一一五四
黒川高雅 下土棚九九四−二 小菅悦男 下土棚一七〇七 小菅一之 下土棚一九八五
小菅喜助 下土棚一七八四 小菅喜八郎 下土棚一〇〇九 小菅重矩 下土棚一七七八
小菅常義 下土棚一九九六 小菅徳郎 下土棚六二五 薩田 勝 下土棚二三〇四
薩田 隆 下土棚一六六三 新倉マキ子 下土棚四一八−二 野渡 功 下土棚二二一
廣田敏子 横浜市港北区日吉本町四−一〇 廣田 浩 湘南台四−三〇−二
柳川健治 下土棚一六七二 山口 博 下土棚四六七 横山松太郎 下土棚四六八
吉原惣一郎 下土棚九九七 吉原鐡夫 下土棚三二二」