大東亜戦争戦没者慰霊碑(円行八幡宮) |
軍事遺物 |
戻る |
碑にあるように同社殿から出征していった大東亜戦争の戦没者18柱の慰霊碑、平成8年11月建立。
碑高118p、幅208p、厚さ18.5p、台石52p。 所在:円行八幡宮(藤沢市) (刻字) 碑正面: 「大東亜戦争戦没者慰霊碑 矢部正太郎 中華民国山東省 昭和十五年十一月二十三日戦死 二十五才 鈴木正勝 三重海軍航空隊 昭和十八年七月三十日戦死 十八才 内田祐富 上海戦闘に於いて 昭和十九年一月二十一日戦死 二十九才 野渡定雄 フィリピン沖海上 昭和十九年四月二十六日戦死 二十六才 小泉三郎 フィリピンマニラ 昭和十九年四月二十六日戦死 二十三才 矢部 淳 南方方面 昭和十九年四月二十六日戦死 二十二才 野渡 弘 フィリピンタヤバス 昭和十九年七月七日戦死 二十三才 青木 處 マリアナ諸島テニアン島 昭和十九年八月二日戦死 三十一才 野渡 武 西部ニューギニアマークワリ 昭和十九年八月二十九日戦死 二十八才 石塚武夫 フィリピンルソン島 昭和二十年四月十七日戦死 三十二才 露木 貢 奄美大島沖 昭和二十年四月二十八日戦死 二十三才 露木 博 マニラ東方沖 昭和二十年六月十三日戦死 二十九才 矢部太一 フィリピンルソン島 昭和二十年六月十三日戦死 二十六才 小泉太助 フィリピンルソン島 昭和二十年六月十九日戦死 三十五才 瀬忠雄 カザフ共和国元ソ連領 昭和二十年八月一日戦死 二十六才 持丸林造 フィリピンルソン島 昭和二十年八月十四日戦死 三十七才 野渡政吉 フィリピンルソン島 昭和二十年八月十四日戦死 三十三才 露木精二 ソロモン島ビース島 昭和二十年十二月三十一日戦死 二十九才」 碑裏面: 「此の碑は昭和十六年十二月八日大東亜戦争時当地よりこの八幡宮社殿にて祖國の守り堅しと神に念じ出征し大陸孤島洋上に於いて砲煙弾雨の中で奮戦し壮烈なる戦死をとげられた勇士十八柱の英霊を祭るもので有ります 八幡宮社殿の造営と共に終戦五十年を期に遺族有志により建立し御霊の安らかなる眠りと併せて世界平和を祈念致します 平成八年十一月吉日建之 この宮に誓いと願い捧げつゝ ゆかれし人のみたま安かれ イカ ふる里を思ふ心を忍びつゝ 散り行く御霊こころなぐさむ 恪 遺族有志 露木登 小泉喜久雄 瀬雅直 石塚忠男 青木サヨ 小泉 浩 露木スズ子 持丸茂雄」 |