變死紀念之碑(西来寺)

軍事遺物
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比叡艦に乗組み、仁川港濟物浦にて、明治16年4月29日に墜落死した國永三太郎さん、同年5月4日に溺死した渡邉虎之助さん2名の慰霊碑。明治16年10月建立。
碑高205p、幅130p、厚さ30p、台石41p、基礎石30p。
所在:横須賀市

(刻字)
・正面
題字「海軍三等水兵國永三太郎 海軍三等水兵渡邉虎之助 兩君變死紀念之碑」
碑文「國永三太郎君鹿児島縣人也父謂勝太郎安政五年七月十日生君於大隅國姶羅郡帖佐郷松原浦君性毅直能勉焉明治十一年夏始出身于海軍同年秋奉職于比叡艦以航海於波斯朝鮮勤勞不尠瘻受賞賜今茲明治十六年四月屡廿九日於朝鮮國仁川港濟物浦執業中誤自第二帆架墜落即死時年二十有六
渡邉虎之助君和歌山縣人也父稱武蔵以万延元年三月廿三日生紀伊國名草郡中島村君自幼活達力量過人明治十二年冬始出身于仝十四年三月奉職于比叡艦亦渡航於韓國數回頗以精勤受賞仝茲明治十六年五月四日於朝鮮國仁川港濟物浦為公務誤溺死行年二十又四 嗚呼死也者人生所悲而莫人無之夭壽不疑脩身俟命為正命也然寄身於 他邦死者雖正命亦所尤悲也况死非命耶人誰不慟哭因與同志相謀建紀 念碑聊慰精魂於九原下銘曰
漢江月寒 黄海激奔 檣頭誤墮 精魂尚存 髣髯来享 碑前供樽 今思兩士 不耐涙痕
海軍艦大教授役楢崎薫爾謹撰併書」
・裏面
「明治十六年十月立之」
台石の3面には、「比叡艦寄附金人名」として寄付者の全人名が刻まれている。

(碑文現代語訳)
『 国永三太郎君は鹿児島県の出身である。父は勝太郎と言い、安政5年7月10日、君は大隅国姶良郡帖佐郷松原浦に生まれた。君の性質は意志が強くまっすぐで、よく努力する人物であった。明治11年の夏に初めて海軍に入り、同年の秋に「比叡」に奉職した。ペルシャや朝鮮への航海に従事し、その勤労は少なからぬもので、しばしば賞賜を授かった。今年、明治16年4月29日、朝鮮国の仁川港済物浦にて業務に従事中、誤って第二マストから墜落し、即死した。時に年齢は26歳であった。
渡辺虎之助君は和歌山県の出身である。父は武蔵と言い、万延元年3月23日、紀伊国名草郡中島村に生まれた。君は幼い頃から快活で、人並み外れた気力と体力の持ち主であった。明治12年の冬に初めて海軍に入り、同14年3月に「比叡」に奉職した。また朝鮮へ数回渡航し、非常に精励格勤であったため賞を受けた。今年、明治16年5月4日、朝鮮国の仁川港済物浦にて、公務のため誤って溺死した。享年は24歳であった。
ああ、死というものは人生の悲しみであり、誰も免れることはできない。寿命が短いか長いかは疑うことなく、我が身を修めて天命を待つことこそが「正命(天寿を全うすること)」である。しかし、身を異国の地に置きながら亡くなることは、たとえそれが天命であったとしても、格別に悲しいことである。況や、彼らの死が天命ではない不慮の事故であったのだから、誰が慟哭せずにおられようか。 そこで、志を同じくする仲間たちと相談し、記念碑を建てて、あの世にある彼らの魂をいささかでも慰めることにした。ここに銘を記す。
漢江の月は冴え渡り 黄海の波は激しく奔る
マストの先端から誤って墜ちるとも 君たちの清き魂は なおここに留まっている
幻となってここに現れ、捧げものを受け取ってくれ いま碑の前に 酒樽を供えよう
今なお二人の若き戦士を想えば 溢れる涙を 抑えることができない』