陸軍歩兵中尉齋藤文六之墓(光明寺)

軍事遺物
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日露戦争に従軍し、第三軍、第三聯隊第ニ中隊の第ニ小隊長として旅順攻撃に奮戦したが、明治37年8月戦死された齋藤文六さんの慰霊の墓碑。戦死後中尉に昇進。遺族らによって明治38年秋に建立された。
碑高179cm、幅43cm、厚さ36.5cm、台石20cm
所在:光明寺(横浜市南区)

(刻字)
碑正面:
「陸軍歩兵中尉正八位勲六等功五級齋藤文六之墓」
右右面:
「明治三十九年四月建之
父 齋藤文吉  母 仝志□子   西戸部町御所山有志」
碑裏面:
「陸軍歩兵中尉齋藤君墓銘
君撰文□□□□氏□爾□山形縣山形市□幼時其□君文吉以為僻土不便教育提而移于横濱長使□其商業學 校□□□□兵入第一師團□任歩兵少尉叙正八位露人□□歳以三月被徴六月出征當□之時旅順敵軍□壘戰 十□□□□□第一師團□□第三軍而攻之君為第三聯隊第二中隊第二小隊長大小十餘戰轍無不勇冠一軍後 □□□□□敵壘?屍奢進中二彈而殉是日進中尉叙功五級勲六等賜金鵄勲章單光旭日□明治三十七年八月 □□□□□生明治十年十一月二十日享年二十八明年葬遺骨於横濱久保山君精激多技善劍善泅又□□□既 □□□□□□□踵門日初入横濱生糸合名會社既徴于役不絶其俸死亦贈金賻之夫文六志在貿易而一死報□ □墓□□賜□呼銘斯人也尚何為懼諛于墓之譏焉乃銘曰
    □維厥□ □□如□ 投□而起 赴國之難 死不避也 奚壁謂堅 彈丸如雨 豪氣衡天
   國威以張 以震八挺 烈矣男鬼 流芳千年 噫?初志 復何足云
 拾三十八年□秋之月     岐□  武居好典撰文   父 齋藤文吉書」