故陸軍歩兵伍長矢部義親之墓(今井路傍) |
軍事遺物 |
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支那事変が勃発するや近衛歩兵第四連隊に入隊、昭和12年11月3日、江蘇省張家宅北方附近の戦闘にて戦死された矢部義親さんの墓碑。 昭和14年11月3日、父親によって建立された。 碑高210cm、幅92cm、厚さ12cm、台石50cm 所在:今井路傍(横浜市保土ヶ谷区) (刻字) 碑正面: 「故陸軍歩兵伍長勲八等功七級矢部義親之墓」 碑裏面: 「故陸軍歩兵伍長勲八等功七級矢部義親略歴記 君ハ明治四十一年三月縣下鎌倉郡大正村上俣野白石正太郎ノ六男ニ生レ大正三 年二月二俣川村今井矢部家ノ嗣子トナル昭和四年六月徴サレテ近衛歩兵第二聯 隊ニ入營セラルゝヤ常ニ精勵恪勤其ノ謹直ニシテ精悍ナル天性ト相俟ツテ多衆 僚輩ノ模範タリ仝六年四月帰休除隊以来専ラ在郷軍人會役員青年團幹部村統計 調査員消防小頭等ノ要職ニ推サレ鋭意自治公共團体ノ発展ニ盡瘁シ郷黨ノ薫化 ニ任セラル昭和十二年七月日支事変勃發スルヤ仝年九月十三日充員召集ヲ命セ ラレ近衛歩兵第四聯隊ニ入隊後浦野部隊久保隊ニ属シ出征上海方面戰線ニ馳驅 シ咆哮躍進轉戰亦轉戰常ニ機關銃隊ニ属シ頑敵ヲ掃射撃滅シテ偉功ヲ樹テラレ タリ偶々中華民國江蘇省張家宅北方附近ノ戰闘ニ於テ不幸敵彈ノ侵ス所トナリ 遂ニ壮烈ナル戰死ヲ遂ゲラレタリ時十一月三日其ノ戰功ニヨリ勲八等旭日章並 ニ功七級金鵄勲章ヲ授與セラル君ノ英魂死シテ餘榮アリト言フベシ行年三十歳 轉々哀悼悲痛ノ情ニ堪ヘン茲ニ其ノ偉功ヲ稱揚シテ千歳ニ傳ヘ以テ國民尚武ノ 志氣ヲ鼓舞セント欲ス 昭和十四年十一月三日建設 矢部勝義」 |