相模丸顕彰之碑(神奈川県水産技術センター) |
軍事遺物 |
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海軍は太平洋戦争において、攻勢の国防方針に従い、沿岸防御については重視していなかったようで、攻め込まれた際の対応が出来ておらず、結局民間等の船を徴用して沿岸監視の任務を担わせることとなった。
神奈川県の水産試験所の調査船であった相模丸も、昭和17年1月横須賀鎮守府警備隊に徴用され補助監視(哨戒)業務に就いたが、昭和18年6月18日米軍潜水艦の攻撃により沈没、21名全員が戦死した。搭載兵器は92式7.7ミリ単装機銃1基と小銃3挺という貧弱な内容であった。(沈没、全員戦死といっても証拠となるものは何もなく状況推定である) 碑高110cm、幅58cm、厚さ9cm、台石30cm 所在:神奈川県水産技術センター(三浦市) (刻字) 碑正面: 「相模丸顕彰之碑 神奈川県知事内山岩太郎謹書」 裏面: 「旧遠洋漁業指導舩相模丸は昭和五年進水以來 鮪延縄漁業鰹釣漁業等水産界發展の為幾多の 貢献をなし大東亞戰爭開始されるや海軍に徴 用され任務遂行中昭和十八年六月十八日本邦 東方海面に於て沈没し乗組員岡田船長以下貳 拾一名全員殉難す 茲に生前水産界に於ける功績をた〃えると共 に故人の冥福を祈りこれを建つ 昭和廿七年六月十八日 發起人 兼友大介 林信雄 山本倬ニ」 |