忠魂碑(称名寺) |
軍事遺物 |
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日清戦争、日露戦争、筑波爆沈、満州事変による戦死者7柱を合祀した忠魂碑。昭和11年4月建立。基壇は左右両側に階段が付く独特の形状である。。 碑高380cm、幅157cm、厚さ21.5cm、台座92cm、基壇110cm 所在:称名寺(横浜市金沢区) (刻字) 碑正面:「忠魂碑 陸軍大將 本庄繁書」 碑裏面:「金澤町州ア服部愛之助 石工小松家 淺葉得次郎」 基壇右碑文: 「明治二十七八年戰役戰死者 故陸軍歩兵軍曹 市川玉専 明治三十七八年戰役戰死者 故陸軍歩兵一等兵勲八等 長嶋寅吉 故陸軍歩兵上等兵勲八等功七級 中川伊助 故陸軍砲兵一等兵勲八等岩室次之助 故陸軍歩兵軍曹勲七等功七級 渡邊寅吉 大正六年軍艦筑波爆沈遭難者 故海軍三等機關兵 北見芳雄 昭和九年満州事變戰死者 故陸軍歩兵上等兵勲八等功七級 黒川梅吉」 基壇左碑文 「本忠魂碑ハ當町出身ノ戰病歿陸海軍軍人ノ英霊ヲ吊祭センカ爲メニ建設ス 明治大正昭和ト相次イテ起リシ前代未聞ノ戰役ニ諸子ハ大命ヲ奉シテ勇躍皇帥ニ從ヒ各地ニ轉戰シ時ニ清國ト武ヲ競ヒ勃海湾頭ノ波ヲ鎮メ亦日露ノ國交破ルルヤ敵将ノ心膽ヲ奪ヒ遂ニ四面環海ノ神州ヲシテ一等國ノ班ニ列セシム斯クシテ満洲ノ野ニ真如ノ月圓カニ満蒙ノ鎮粤ニ堅ク我國今日ノ進展ヲ致セルモノハ偏ニ之等将士カ一死以テ國ノ殉セラレシ賜ニシテ外ニハ國威ニ幾段ノ光輝ヲ添ヘ内ニハ士氣ヲ萬世ニ鼓舞シ以テ東洋平和ノ基礎ヲ確立ス其ノ偉大ナル功績ハ炳トシテ日月ノ如ク景仰追慕措ク能ハサル所ニシテ 畏クモ其ノ神霊ハ靖國神社ニ合祀セラレ其ノ勲功ハ永久ニ青史ニ綴ラル嗚呼誰カ感奮セサルモノアランヤ先ニ金澤町在郷軍人分會主唱ノ下ニ忠魂碑建設基金ヲ募集セシニ翕然賛同ヲ得テ地ヲ稱名寺境内ノ清域ニ相シタルニ時ノ 侍従武官長本庄大将閣下ノ標額ノ御揮毫ヲ辱ウシ芳譽彌々加フ本會ノ光榮之ニ過クルモノナシ 今茲ニ其ノ戰功ヲ後毘ニ傳ヘントシテ由來ヲ刻シテ以テ銘トス 昭和十一年歳次丙子春四月 帝國在郷軍人會金澤町分會長鈴木貞次」 基壇裏面: 「忠魂碑建設委員 町長 鹿島源左衛門 分會長 鈴木貞次 分會副長 相田俊造 分會副長 鹿島喜代次 監事 秋本次郎 理事 新倉太郎 各班役員一同 撰文者 和田慈明 設計者 田中左伸 石工 浅葉得次郎 服部愛之助」 |