戦歿者慰霊碑(八雲神社) |
軍事遺物 |
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中町区の戦没者58柱(日清戦争1柱、日露戦争1柱、大東亜戦争56柱)を合祀する慰霊碑。昭和37年3月15日に同地区民らによって建立された。 裏面に建立由来及び戦没者氏名、享年、戦没年月日が刻されている。 碑碑高259p、幅106p、厚さ19p、台石48p、基壇70p。 所在:八雲神社(茅ヶ崎市) (刻字) 碑正面: 「戦歿者慰霊碑 八十□ 重郎書」 碑裏面: 「日清・日露及大東亜戦争に應召され幾多の困苦の末不幸戦歿された方ゝに対し其の靈を永久にお慰めし平和な国を建設することを誓って中町区民の総意によりこの碑を建立しました 昭和三十七年三月十五日 中町区 日清日露戦争 池田竹次郎 二十三才 明治三十一年九月十九日 歿 三橋定吉 二十三才 明治三十八年五月十八日 大東亜戦争 加藤庄造 二十八才 昭和十二年十月十九日 歿 木村秀治 二十三才 昭和十五年一月二十二日 須藤繁雄 二十三才 昭和十七年二月十五日 池田源次郎 二十四才 昭和十七年二月二十八日 森田貞三 二十三才 昭和十七年六月七日 加藤猛 二十四才 昭和十七年七月十七日 尾長利 三十二才 昭和十七年九月二十六日 尾昇造 二十三才 昭和十七年十一月八日 青木兼薫 二十五才 昭和十八年一月六日 鈴木滿 二十三才 昭和十八年四月八日 丸山清 二十三才 昭和十八年十月十一日 小池幸次郎 三十六才 昭和十九年二月十七日 鈴木今吉 二十才 昭和十九年二月十七日 鈴木広司 二十五才 昭和十九年二月二十日 秋本万吉 三十才 昭和十九年三月二十日 森治三郎 四十一才 昭和十九年四月十三日 原国雄 二十三才 昭和十九年五月二日 巣籠貞二 三十二才 昭和十九年五月六日 越地昇 二十四才 昭和十九年六月十日 岡崎鹿三 二十二才 昭和十九年七月十六日 鈴木三朗 二十八才 昭和十九年七月十八日 那須野弥一 二十六才 昭和十九年八月二十九日 三橋岩治 二十一才 昭和十九年八月三十日 三橋喜作 二十六才 昭和十九年八月三十一日 越地作造 三十三才 昭和十九年九月九日 島村清 二十九才 昭和十九年十月二十五日 米山英男 二十二才 昭和十九年十二月十五日 鈴木茂春 二十才 昭和二十年一月七日 岡崎寅吉 三十三才 昭和二十年一月十二日 井坂信勝 二十九才 昭和二十年一月二十五日 岩間今朝春 三十四才 昭和二十年一月二十八日 木村忠信 二十三才 昭和二十年二月十六日 鈴木里之助 三十二才 昭和二十年二月十七日 原堯治 三十一才 昭和二十年二月十八日 三橋伸一 三十二才 昭和二十年二月二十一日 鈴木松治 二十八才 昭和二十年二月二十一日 米山重義 二十六才 昭和二十年二月二十八日 尾兼三 三十二才 昭和二十年三月十一日 巣籠一男 二十三才 昭和二十年三月十五日 鈴木又男 三十四才 昭和二十年三月十七日 藤沢祇春 三十四才 昭和二十年四月六日 島村昇 三十二才 昭和二十年四月二十五日 飯田喜三郎 二十九才 昭和二十年五月十一日 森保孝 三十七才 昭和二十年五月十八日 森又一 三十八才 昭和二十年五月二十日 竹之内林之助 三十六才 昭和二十年六月二十日 木村金蔵 三十六才 昭和二十年六月二十七日 秋元亀六郎 二十九才 昭和二十年七月一日 飯田定吉 二十六才 昭和二十年七月三日 池田福太郎 三十二才 昭和二十年七月十三日 山本三郎 二十五才 昭和二十年七月二十五日 鈴木壽男 二十九才 昭和二十年八月四日 岡崎政吉 三十六才 昭和二十年八月四日 鈴木仙太郎 三十四才 昭和二十年八月二十六日 木村力造 三十三才 昭和二十年十一月四日 青木重雄 二十八才 昭和二十一年四月三日 松濤鈴木冨士松 謹書 四ツ角 富田石材店刻」 | |