慰霊碑(第六天神社) |
軍事遺物 |
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日清・日露及び大東亜戦争の戦没者78柱を合祀した慰霊碑。 昭和52年6月建立された。裏面に戦没者名と享年が刻されている。また、脇碑に建立の由来が記されている。 碑高240p、幅150p、厚さ29.5p、台石50p、基壇110p。 所在:第六天神社(茅ヶ崎市) (刻字) 碑正面: 「慰霊碑 靖国神社権宮司池田良八謹書」 碑裏面: 「日露支那事変大東亜戦々歿者 阿部光明二五 阿部勝幸二一 阿部正和一四 飯田丑松四七 伊東善太郎三二 伊藤春男二三 伊藤栄吉三一 井出幸二九 石田善敏二三 石田松男二五 石田佐吉二七 石田長吉三四 上田留作四四 大川一郎二八 大森耕三三四 岡崎安太郎三四 岡崎一雄二五 小川昇三三三 小川國太郎二三 小沢利作二一 小田川丑蔵三五 角田秀吉三八 加藤一三二四 河内駒吉三〇 岸道有三七 岸亀治二七 小杉義重二二 小林進二七 後藤栄治郎二二 坂巻政一二五 坂巻一造三一 坂巻久雄二四 坂巻清二二 坂巻兼四郎二四 坂巻定義二五 佐藤常夫二三 重田義久二五 重田謹平三〇 篠田等三八 篠田武次四四 篠田新蔵三七 篠田義明二八 篠田竹夫三八 篠田伊三郎二六 菅原亀寿三八 鈴木長義二一 鈴木正明二四 鈴木政次三四 鈴木吉明二一 高橋幹夫三〇 高橋庄治郎三八 出口貫一二三 長嶋重雄二四 広瀬俊夫三七 古谷進二三 古谷義信二七 真壁久雄三三 真壁與志男二五 松坂大五郎二三 三橋清二一 本図剛二三 森田和男三〇 森田幸男二五 山本金作二二 山際清三一 山田要二四 山田作太郎三六 山崎梅吉三六 渡辺長吉三六 渡辺昇二一 渡辺喜義二二 荒巻雄司二四 山田義雄二四 山本登二六 重田正武二三 岡崎寅男三一 重田英二二一 大柳定治二六」 基壇左面銘板: 「第六天神社 慰霊碑建立委員会 宮司 櫻井明彦 禰宜 櫻井文彦 会長 石井孝 副会長 河内義雄 会計 露木保 委員 伊藤兼吉 委員 伊藤貞助 委員 飯田孝男 委員 岸武幸 委員 小林謙次 委員 坂巻武則 委員 坂巻増雄 委員 鈴木直 委員 添田徳次郎 委員 千葉修策 委員 長塚三郎 委員 長谷川庄吉 委員 真壁秀雄 委員 米山二郎 施工 茅ヶ崎石材工業株式会社」 | |
脇碑。基壇の右手に建てられており、建立の由来が記されている。 (刻字) 碑正面: 「慰霊碑建立趣旨 日露の大戦より大東戦争に至る戦いに従い今日の平和日本の礎として御国の為に尊い身命を捧げられた方々を顕彰し我が民族永遠の弥栄を祈り氏子崇敬者の浄財を得てここに慰霊碑を建立す 昭和五十二年六月」 |