平和観音(正観寺)

軍事遺物
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昭和20年4月、沖縄沖で戦死された陸軍大尉尾久義周さんの慰霊と平和を願う観音像である。(*戦死後大尉に特進) 昭和33年4月8日に父親によって建立された。
尾久少尉は、陸軍の特別操縦見習士官の一期生であり、昭和20年4月8日、第42振武隊の隊員として喜界島から出撃散華された。搭乗機は、97式戦闘機であった。 脇には尾久義周さんの墓碑が建てられている。
像高120p(内蓮華座29p)、上台石30p、下台石40p、基壇50p。
所在:正観寺(横須賀市)

(観音像刻字)
・台石正面:「平和観音」
・台石左面:「施主 尾久周吉 次男 義周祈冥福平和希願建之 昭和三十三年四月八日」
(墓碑刻字)
正面:「勇進院忠誉義周殉道居士 陸軍大尉勲五等功三級尾久義周 昭和二十年四月八日 於沖縄沖戰死 行年二十四」



*なお、隣接して、海軍の神風第二特別攻撃隊「忠勇隊」の隊長であった山田恭司大尉(海兵69期)の墓碑がある。
「忠勇隊」は艦上爆撃機「彗星」3機で編成され、昭和19年10月27日、大尉は1番機の偵察員として茂木兵曹長とともに搭乗、直掩機にゼロ戦8機を従え、第一ニコルス基地を出撃、レイテ湾内の敵艦船群に突入、散華された。
この攻撃では、特攻機3機とも特攻に成功し、日本側の戦果では戦艦一隻中破、巡洋艦一隻大破、輸送艦一隻小破とされている。6名全員が特攻戦死である。
(刻字)
墓石正面:「故海軍中佐正六位勲四等功三級 山田恭司之墓」
左面:「山田家十二代目正次郎次男にして太平洋 戰爭中神風特別攻撃隊忠勇隊々長として 昭和十九年十月二十七日比島レイテ湾に 於て戰死す享年二十五歳」と刻まれている。