内田徳十郎君之碑(梅雲寺) |
軍事遺物 |
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日露戦争に出征し、明治37年12月5日旅順要塞203高地の戦闘で戦死された陸軍軍曹内田徳十郎さんの慰霊碑。享年23歳。明治39年12月5日に遺族らによって建立された。同氏は東京体操伝習所(現在の筑波大学体育専門学群の祖)を卒業され、体操や銃剣術に優れていたという。 碑高253p、幅126p、厚さ15p、台石40p。 所在:梅雲寺(茅ヶ崎市) (刻字) 碑正面: 「内田徳十郎君之碑 旅順之險稱為東洋無比焉日露之役我軍海陸攻之數月勝敗未決至於爾霊山之戰敵勢始衰而我陸軍歩兵軍曹内田君實陣歿於此□矣夫武人之死孰非可貴而死於両軍勝敗将決之際可謂死得其所也君既死中隊長上田中尉寄書君家中有君克恪勤従事慎重數有功爾霊山之戰□小隊長廷身奮進突入敵壘以鼓舞部下遂陥之而身亦歿之語當時殉難之状可想児矣君諱徳十郎相模高座郡鶴嶺村之人為亦右衛門君第六子以明治十五年一月二十二日生以三十七年十二月五日歿享年二十三此日叙賜功七級金鵄勲章及勲七等青色桐葉章初君将應徴兵之選以為凡為兵者不當不操練體□也因入東京體操傳習所卒其業已入營勇而機敏左善體操銃劔之術常踰儕輩其數有功實非遇然也項君遺族将建碣請予表之予不敢辭以深感其忠勇也 明治三十九年十二月五日 神奈川縣高座郡鶴嶺村長 出口直吉撰 山宮藤吉書 内藤岩吉刻」 |