忠魂碑(長福寺)

軍事遺物
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松林村出身の西南戦争(1柱)、日清戦争(2柱)、日露戦争(7柱)における戦病没者10柱を合祀する忠魂碑。明治39年4月に松林村兵事会によって建立されたが、大正5年9月24日に移転改築されている。
西南戦争戦死者島ア瀧藏さんの個人慰霊碑が八王子神社に、日清戦争戦病死者栗原初五郎さんの個人慰霊碑は、永昌寺に、日露戦争戦死者の小澤彌五郎さんの個人慰霊碑が宝積寺に建立されている。
碑高160p、幅84p、厚さ16p、上台33p、下台22p、芝台5p。
所在:長福寺(茅ヶ崎市)

(刻字)
碑正面:
「遺勲□(篆額) 忠魂碑」
碑裏面:
「明治拾年三月二拾日於肥後國玉名郡二保村戰死 島ア瀧藏君
明治三十七年十一月二十六日於清國盛京省松樹山補備砲臺附近戦死 陸軍歩兵伍長勲八等功七級 小澤彌五郎君
明治三十七年十一月二十七日於清國盛京省寺児溝西方地戰死 陸軍歩兵一等卒 大山朝五郎君
明治三十七年十一月三十日於清國盛京省旅順背面二百〇三地戦死 陸軍歩兵一等卒 亀井松五郎君
明治三十八年三月九日於清國盛京省大寒屯戰死 陸軍歩兵二等卒 島村賢治君
明治三十八年八月三日於清國盛京省法庫門兵站病院負傷因死 陸軍歩兵一等卒 城田嘉重君
明治三十七年十月十七日於清國盛京省胡家屯第一師團野戰病院死 陸軍歩兵一等卒 □切平吉君
明治三十七年十一月九日於清國盛京省青泥窪兵站病院死 陸軍歩兵二等卒 日比玉吉君
明治二十八年三月二十四日於臺灣列島久良嶋方面病死 陸軍歩兵一等卒 栗原初五郎君
明治二十八年四月二十四日於臺灣島馬公城病院死亡 陸軍歩兵一等卒 新倉八五郎君
明治三十九年四月 松林村兵事會建設  大正五年九月二十四日 長福寺境内ヨリ移轉改築」