藤田定五郎君之碑(長楽寺) |
軍事遺物 |
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明治40年12月に第49聯隊に入隊、韓国の守備についていたが、賊徒の襲撃により明治41年7月10月、22才で戦死された藤田定五郎さんの慰霊碑。 明治42年10月父親によって建立された。 碑高205p、幅106p、厚さ17p、台石25p。 所在:長楽寺(平塚市) (刻字) 碑正面: 「藤田定五郎君之碑(篆額) 藤田定五郎君父曰銀次郎為人寡言沈勇克事父母勤業郷黨稱之明治四十年十二月應徴編入第四十九聯隊守備韓国屯會寧當此時我統監之治未洽邉民□□君従軍至於新阿山賊魁李範久隔圖們江□於露領其勢猖獗既 賊襲我軍衆寡不□且彈薬告乏君奮激□危□輸送彈薬焉時□彈如雨身既□一彈倒而不屈再起猛進彈丸愈急終不起而殞身實明治四十一年七月十日也賜勲八等白色桐葉章噫可謂死而有鈴榮矣是年十月十一日葬遺骨於長樂寺塋域謚曰心光院忠精良義居士年二十二 明治四十二年十月 山宮藤吉撰並書」 碑裏面: 「藤田銀次郎建之」 |