護国霊塔(安楽寺) |
軍事遺物 |
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寒川町の戦没211柱を祀った慰霊塔で、昭和26年11月18日に遺族後援会によって建立された。建立50周年にあたる平成13年9月には老朽化対策として修繕が行われた。塔の前面には由来を記した碑誌、左右には戦没英霊名を記した戦没者碑と寄付者芳名を記した寄付者名簿碑が建てられている。 所在:安楽寺(寒川町) (刻字) 塔正面: 「護国霊塔」 基壇背面: 「昭和二十六年十一月十八日建立 寒川町遺族後援会」 (碑誌): 「戦後五十余年が経過し 戦争を知らない世代が大半を占める今日平和とはごく当たり前のことであり 戦争とは歴史上の出来事でしかない遠い存在になっております この戦争によって多くの犠牲者を出し 悲しみに耐えながらも残された家族が一丸となって生活を支え今日に至る方が多数おいでになること そして復興再建の労苦もよって現在の平和日本が存在することも忘れかけているのが事実であります さて 護国霊塔は昭和二十六年に寒川町遺族後援会によって 国の為に心魂を捧げられた寒川町に在住した英霊をお祀りし戦争の悲惨さを後世に伝え同じ過ちを二度と繰り返さない教訓を培うことを目的に建立されましたが 歳月と風雨によって傷みも著しく老朽化が目立ってきておりました そこで寒川町遺族會におきましては 護国霊塔建立五十年を記念し 諸先輩方の思いをさらに後世に伝えるため 平成十三年度に修繕をいたしました 平成十三年九月 寒川町遺族会」 | |
(戦没者碑) 碑正面: 「寒川町戦没者 田端 相田清光 相原八十吉 岩田三四子 石黒正作 石黒榮三 小川長五郎 亀田好男 菊地大治 菊地聡一 木内政彦 小林関造 小林一衛 斉藤照義 斉藤光弘 佐藤光男 鈴木隆興 鈴木富司 鈴木保 高橋孝吉 原田貞雄 村田篤敬 吉澤修 一之宮 内田武男 菊地政五郎 木村芳治 木村雅一 木村重徳 木村一雄 小泉藤吉 鈴木磯吉 二見正二 本郷貞太郎 本郷久市 三浦忠太郎 村田八三郎 村田輝明 木村恭一 木村道三郎 小島正司 坂井吉之助 櫻井仁 砂川栄次郎 鈴木庄蔵 鈴木福太郎 鈴木利三郎 高橋梅吉 竹之内林之助 千野定治 富塚菊次郎 中嶋改造 中島信 永野景三 平島正行 広田秀夫 藤澤博 藤澤喜一 深作甲子男 本郷正吉 三橋勇 入沢謙一 黒田義幸 佐藤良雄 清水寅一 橋梅吉 山本察次郎 吉田磯四郎 吉田好一 吉田文作 吉田松造 大曲 青木米太郎 井出喜夫 井出太助 石塚六郎 大津幸定 大津亥之助 久保田不二夫 嶋田幹一 鈴木勇 鈴木豊治 橋光 橋作造 竹内保太郎 中村賢治 中村鶴吉 中村力 中瀬 阿部谷平 小泉保之助 小泉喜之 福岡房吉 前田梅吉 前田良助 岡田 安齋恒至 臼井義雄 臼井喜久司 臼井才一 臼井猛 大和田義光 後藤甫 竹内俊雄 藤井幸治 三留定光 三留喜八 小澤岩吉 木村一郎 木村覚二 木村武夫 玉木行雄 高沢与一 三澤満良 内田一郎 内野恵司 橋次郎 木瀧 中村政吉 藤澤敬 三堀正治 草薙政通 河野廣治 鈴木義春 野瀬公明 古川三男 大蔵 石井昌子 菊地祐次 栗田秀義 柴田登 田中保 露木茂勝 露木秀雄 露木省三 露木秀雄 藤井義治 小谷 大久保泰治 杉崎清治 杉崎芳春 雪本定邦 雪本眞 若葉三郎 渡邉武三郎 小動 池田光太 日尾良平 福岡正春 福岡由蔵 宮山 天利福造 井出鶴寿 井出秋次 井出敬三 井出亮 石井謙三 金子初太郎 亀山秀治 金子隆治 北村信二 北野良徳 北野一郎 権上千萬亀 佐藤英信 杉崎勘造 杉崎武夫 杉崎金太郎 高橋耕作 塚本勝 山口則勝 山口林藏 矢沢留吉 青木常男 青木松造 金子一郎 金子悦太郎 金子得太郎 杉山清房 杉山光司 杉山吉蔵 鈴木喜一郎 常盤義 中島仙蔵 中島武次 福岡俊雄 福岡義春 皆川久雄 矢澤定次 横溝盛 倉見 磯川一男 磯川勤 井上秀雄 石井秀夫 内田晩雄 小野間優 佐藤勲 佐藤不二雄 齋藤勇 齋藤營 佐々木興吉 須田徳蔵 鈴木宗三郎 竹之内政雄 脇元二 岩田隆三 亀山啓 亀山源 黒川好 佐藤亀三 坂本清之 須田勝 木忠蔵 藤澤勇 藤澤伊勢雄 古郡行雄 増田勘蔵 前田叶 水野一利 柳下三郎」 碑裏面: 「今日の平和と繁栄の礎はここに祀られている英霊の上に築かれたものであります。 英霊を顕彰することを後世に残す為、建立する。 寒川町遺族会 平成二十三年九月吉日建立 実行委員(20名の氏名)」 (寄付者碑) 碑正面: 「寄付者名簿碑 「護国霊塔修繕寄付者名簿(176名の氏名) 平成十三年九月」 |