田中支隊忠魂碑(靖国神社)

軍事遺物(その他地域)
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シベリア出兵の際、大きな損害を被った田中支隊の忠魂碑であり、生存者が昭和9年2月26日九段坂下に建立したもの。 その後、現在地に移設された。 詳細は、下記の説明板を参照のこと。
所在:靖国神社(千代田区)

(刻字)
碑正面:
「西伯利亜出兵 田中支隊忠魂碑 陸軍大将男爵大井成元書 」
台座正面:
「感状
歩兵第七十二聯隊第三大隊(第九第十二中隊缺) 第三機関銃隊 野砲兵第十二聯隊第五中隊(一小隊缺)
右諸隊ハ歩兵少佐田中勝輔ノ指揮ニ属シ支隊ヲ編成シ大正八年 二月黒龍州ニ蜂起セル過激派軍討伐ノ爲出動シ同年二十五日敵 退路ヲ遮断スル任務ヲ以テユフタ附近ニ達スルヤ敵ノ一大集團「ア レキセトフスク」西側地帯ヲ北方ニ退却シツツアルヲ知リ「スクラムスコエ」ニ 向ヒ急進中歩兵中尉香田驍男ノ指揮スル先遣歩兵小隊ハ同村ニ 於テ約二十倍ノ敵ノ攻撃ヲ受ケ主力ノ来着迄同村ヲ固守スル爲 負傷者三名ノ外全員悉ク壮烈ナル戦死ヲ遂げケタリ支隊ノ主力 ハ小隊ノ赴援中二十六日払暁我先遣小隊ヲ編成シユフタ方向ニ 北進中ナル敵ト「チユシノフカ」西方ニ於テ衝突シ地形ノ頗ル不利ナ ルニ関セス直ニ其進路ヲ遮断シテ之ヲ邀撃シ以テ我後続部隊 ノ包圍スルトコロナリ支隊長以下戮力奮闘敵ニ多大ノ損害ヲ 與ヘタルモ支隊長ハ敵弾ヲ蒙リテ自刃シ部下最後ノ一卒ニ至ル 迄突撃格闘或ハ銃弾ニ或ハ刀剣ニ若クハ自裁シテ全員悉ク 壮烈ナル戦死ヲ遂ケタリ而シテ同支隊ニ属スル砲兵中隊及歩兵 一小隊ノ砲兵大尉西川達次郎之ヲ指揮シ「ユフタ」ニ於テ待命中 主力方面ニ銃聲ノ熾ナルヲ聞キ獨断應援シ優勢ナル敵ト力戦 健闘大砲ト運命ヲ共ニシ生存者ハ僅カニ歩兵重傷者五名ニ 過キサリシ
以上支隊ノ忠烈勇武ナル行動ハ敵ニ多大ノ損害(遺棄セル死屍 ノカスハ尠クモ四百)ヲ與ヘテ其退却ヲ遷延セシメ「ユフタ」付近ニ於 テ之ニ打撃ヲ與フルノ動機ヲ作レルノミナラス任務ニ邁進シテ 一兵一卒ニ至ル迄身心ヲ君國ニ献テ斃ル モ尚止マサルノ精神 ハ真ニ帝國軍人ノ本領ヲ発揮シタルモノナリ仍テ感状ヲ授ク
大正八年二月二十七日 第十二師團長大井成元(花押) 」

台座他の面には、戦死者名と再建時の経緯が刻されている。
「本碑前面の碑文は大東亜戦争終結に際し抹消せられたり これを惜しみて 同□相計り 田中支隊殉難五十周年に當り 茲に 改めて往時の感状を複刻し 以て 忠魂を永□に傳□□
 昭和四十三年二月廿七日  靖国神社 宮司 筑波藤麿
(説明板)
「田中支隊忠魂碑
 昭和九年二月二十六日 田中支隊生存者山崎千代五郎等建設
 昭和四十三年二月二十七日 再建
 平成八年九月三日現在地に移設
 第一次世界大戦は、四年余にわたって戦われたが、特にロシアに与えた影響は甚大で、 大正六年(一九一七年)三月、革命が起り、翌年三月にはドイツと単独講和を締結して ロシア軍は殆ど解体状態となった。  当時オーストリア・ハンガリー軍のチェコ・スロバキア人兵士の中からロシア軍に投降 し、連合国側に協力していた約五万のチェコ・スロバキア軍団は、ウラジオストクから欧 州の連合国側戦線に増援のため同地に移動していたが、各地でロシア過激派(革命派)等 の抵抗を受けていたので、日本、アメリカ、イギリス、フランス等の各国はチェコ・スロ バキア軍救援の名目でシベリアに軍を派遣することを決した。  日本からは第十二師団が派遣されることとなり、大正七年(一九一八年)八月、ウラジ オストクに上陸し、九月初めにはハバロフスクに進軍した。田中支隊が属する歩兵第七十 二聯隊は、更に西進してアムール州(現在の中国黒竜江省北方)方面の過激派討伐に任じ たが、広域のため小部隊を僻地に分散配置し苦戦を強いられていた。第三大隊長田中勝輔 少佐は砲兵等の配属を受けて田中支隊を編成し、大正八年(一九一九年)二月二十五日、 敵の退路を遮断する任務を受け、ユフタ(ブラコベシチェンスク北方)付近に達するや、 敵の大集団が北方に退却しつつあるのを知り、香田驍男歩兵少尉の指揮する小隊(四十四 名)を偵察のため先遣したが、約二十倍の敵の攻撃を受け負傷者三名の外全員戦死した。 支隊主力(一五〇名)は香田小隊を赴援中、二十六日朝香田小隊を覆滅した敵と遭遇した が衆寡懸絶して包囲され、敵に多大な損害を与えたが支隊長は敵弾を受けて自刃し、全員 壮烈な戦死を遂げた。更に、配属の砲兵中隊及び歩兵一小隊は西川達次郎砲兵大尉が指揮 し、ユフタにおいて待命中、主力方面に銃声を聞き救援に赴いたが優勢な敵と衝突し、負 傷して戦場を退いた五名の外一〇七名悉く火砲と運命を共にした。  この忠魂碑は、重傷を負い生還された山崎千代五郎氏等が戦友の悲壮な最期を想起し、 その神霊を慰めるため昭和九年二月二十六日、九段坂下に建立したものを平成八年九月 三日現在地に移設したものである。
 本碑台座部分には、大正八年二月二十七日、第十二師団長大井成元陸軍大将から同支隊 に授与された感状(昭和四十三年二月二十七日再建複刻)が刻まれている。
   平成八年九月三日  歩兵第七十二聯隊戦友会 靖国神社」