濠北方面戦没者慰霊碑(九段北)

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濠北方面とはオーストラリアの北方、インドネシア東部とニューギニア方面である。濠北方面戦没者慰霊會によって昭和39年11月3日に建立された。 碑は自然石で、碑文は側面に嵌め込まれている。また、後背壁右翼に「濠北方面戦跡図」、左翼には「明治天皇御製」が掲げられている。
所在:九段北(千代田区)

(刻字)
碑正面:「魂」
碑側面:「南十字の星の下 身を捧げた友のあゆんだ途は遠く險しかった 今は昔ながらの故国に生きて 立ち直る国の礎となっている御霊に限りない敬意と溢れる愛情を覚え 不変の石に心をこめて 亡き友よ永遠に安かれと祈って此処にこれを建てる
  昭和三十九年十一月三日  濠北方面戦没者慰霊會」
後背壁右翼:「濠北方面戦跡図」
後背壁左翼:「明治天皇御製
世とともに かたりつたへよ くにのため 命をすてし 人のいさをを
濠北方面戦没者慰霊会 会長 豊嶋房太郎謹書」
*意味:「国のために命を捨てた人の功績を、日ごろから語り伝えなさい」
この場所は、もともと大正9年5月に起こったニコライエフスク惨劇の記念像(女神像)が建てられていた場所である。
女神像は、惨殺された方々の慰霊のために帝国在郷軍人と全国の小学校児童が協力して建造した。
この事件は、「尼港事件」と称されているが、ロシア軍を主体とした赤軍パルチザン部隊が、 ニコラエフスクの数千人の市民を虐殺し、日本人も民間人を含む700人を超える方々が惨殺された。
この女神像がどうなったのか?また、何時、何故、撤去されたのか? は調査中である。