慰霊(京都霊山護国神社) |
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騎兵第20連隊、騎兵第120大隊、捜索第16連隊、捜索第53連隊の慰霊碑で、昭和49年11月建立。騎兵第20連隊は、京都伏見に置かれた第16師団の騎兵連隊であり、昭和16年に捜索第16連隊に改編された。騎兵第120大隊は昭和13年、捜索第53連隊は昭和16年に編成された部隊である。
所在:京都霊山護国神社(東山区) (刻字) 碑正面: 「慰霊 騎兵第20連隊、騎兵第120大隊、捜索第16連隊、捜索第53連隊」 碑文: 「是れ騎兵隊第二十聨隊出身各部隊並に師團衛兵騎兵戦没者慰霊の碑なり。 抑も騎兵第二十聨隊は明治三十八年姫路において編成され直に日露戦争に参加し、 以後京都深草に移設、深草桃山長池饗庭野青野ヶ原各演習場にて訓練を重ね、 シベリヤ出兵満州事變を經て昭和十二年に支那事變起こるや北支に出撃し、 更に徐州南京武漢の作戦攻略に赫々たる戦果を収めたり。同十三年騎兵第百二十大隊(嵐)は中支に、 同十六年太平洋戦争に當り捜索第十六聨隊(垣)はフィリピン方面へ進攻し、同十八年捜索第五十三聨隊(安)は ビルマ方面へと、各々幾多辛酸を嘗め、縦横兵馬の任を完うし、武勲枚挙擧に遑なし。 但その間尊き犠牲も亦少なからず、實に九百有餘柱に及ぶ。今生存する我等、相寄り相偲び、 永く偉烈を讃へ、静かに冥福を祈り、茲に此碑を建つるものなり。 昭和四十九年十一月 慰霊碑建設有志一同」 |