殉圀兵士招魂之碑(綾瀬市戦没者慰霊堂)

軍事遺物

綾瀬村から日清戦争に出征され病死された2名の招魂碑。明治32年4月に恤兵義会、在郷軍人によって建立された。一人は澎湖島、一人は広島の病院で亡くなられた。
碑の裏面ではなく、細い側面に刻字されている。慰霊堂前に3基建てられている慰霊碑のうち右手の石碑。元は別の場所にあったものと推測している。
碑高200p、幅42.5p、厚さ21p、台石高70p
所在:綾瀬市戦没者慰霊堂(綾瀬市)
(刻字)
碑正面:「殉圀兵士招魂之碑」
左面:「明治三十二年四月建設 綾瀬村恤兵義會 在郷軍人一同 牧野随吉謹書」
右面:
「明治廿八年三月廿八日於澎湖島馬公城避病院病死 陸軍歩兵一等卒 峰尾元吉
同年十二月四日於廣島陸軍豫備病院病死 陸軍輜重輸卒 比留川九一」