日露戰役招魂碑(綾瀬市戦没者慰霊堂)

軍事遺物

綾瀬村における日露戦争戦病没者13柱の招魂碑。明治40年3月に綾瀬村兵事会が建立した。碑正面には階級と氏名、裏面には没年と場所、死因が刻されている。13柱のうち、4柱が病死である。なお、正面に記載のある早川さんは裏面に記載がない。 碑高210p、幅83p、厚さ14p、台石高40p
  所在:綾瀬市戦没者慰霊堂(綾瀬市)
(刻字)
碑正面:「日露戰役招魂碑 陸軍大将男爵乃木希典閣下題字
陸軍歩兵伍長勲八等功七級 栗原市助
陸軍歩兵伍長勲八等功七級 比留川太吉
陸軍砲兵上等兵勲八等功七級 峰尾金造
陸軍歩兵上等兵勲八等 平出増三郎
陸軍歩兵上等兵勲八等功七級 清水重太郎
陸軍工兵上等兵勲八等功七級 見上馬吉
陸軍歩兵一等卒勲八等功七級 橘川庄太郎
陸軍歩兵一等卒勲八等 栗原喜三郎
陸軍砲兵上等兵勲八等 新倉嘉吉
陸軍歩兵一等卒勲八等 永沼安太郎
陸軍歩兵一等卒勲八等功七級 峰山峰吉
陸軍歩兵ニ等卒勲八等 内藤善六
陸軍歩兵一等卒勲八等 早川沖松」

裏面:
「 明治三十七年八月十四日 於清國盛京省胡家屯附近戦死 死因胸部貫通銃創 栗原市助
同三十八年三月九日 於同國同省田義屯附近戦死 死因胸部盲管銃創 比留川太吉
同年二月廿八日 於同國同省柳峪山衛生隊傷死 死因 左大腿擦過砲創兼左腹部砲創 峰尾金造
同三十七年八月廿一日 於同國同省東溝東南方高地負傷衛生隊収容途中死 死因下腹部貫通銃創 平出増五郎
同年十月十二日 於同國同省松樹山北麓戦死 死因頭部貫通銃創 清水重太郎
同年十二月廿三日 於同國同省松樹山戦死 死因全身爆傷 見上馬吉
同年十一月廿七日 於同國同省寺児溝西方約千米突地戦死 死因前頭部爆裂弾創 橘川庄太郎
同三十八年三月三日 於同國同省東家屯東北方地戦死 死因両大腿貫通銃創 栗原喜三郎
同三十七年十一月三十日 於横須賀衛戍病院病死 新倉嘉吉
同年十二月二日 於東京豫備病院渋谷分院病死 永沼安太郎
同三十九年二月一日 於神奈川縣高座郡綾瀬村早川千四百七番地病死 峰山峰吉
同三十八年十月廿七日 於同縣同郡同村同字三千四百十一番地病死 内藤善六
牧野隋吉謹書 石工 望月久吉
明治年四十年三月建設 綾瀬村兵事會」