有馬村における西南の役から霧社事変までの戦役の戦没者137柱を合祀した忠魂碑。この専有地には3基の戦争碑が集められているが中央の石碑である。正面には鈴木陸軍大将の揮毫で義勇奉公の文字、裏面には戦役、事変ごとに戦没者の姓名が刻まれている。有馬村が昭和8年3月10日に建立。
有馬村は、明治22年4月1日に中河内村・中野村・社家村・今里村・上河内村・杉久保村・本郷村・門沢橋村の8村が合併して誕生した村で、昭和30年7月20日に海老名村と合併して海老名町になり、昭46年11月1日に市制施行した。
碑高204p、幅780p、厚さ18p、台石高60p
所在:有馬小前専有地(海老名市)
(刻字)
碑正面:
「義勇奉公 陸軍大将鈴木荘六書」
碑裏面:
「西南役
井上鎌太郎 大貫勘藏 鴨志田森吉 谷川七五郎 内田留吉 二見豊吉 清水大吉 清田萬治
日清役
猪熊慶次郎 神部惣吉 橋隼藏 佐藤龍藏 芝ア傳造 小泉福松
日清日露両役
橋本森吉 恩馬琴梧 鴨志田浪藏 鴨志田清太郎 米山波之助 大澤松五郎 相原傳八 佐野幸吉 佐野善八 木嶋市太郎 清田友吉 川口廣吉
北清日露両役
中嶋辰五郎
日露役
猪熊正吉 池亀五之助 池谷富五郎 井出詰吉 濱田浦吉 濱田松長 濱田喜八 橋本新吉 橋本尚保 西山彦三郎 富塚米吉 和田正作 川口宇兵衛 金子家治 金子時藏 神部兼吉 神部米太郎 神部光造 神部幸吉 柏木喜三郎 鴨志田鶴次郎 鴨志田丑之助 澤竹造
木榮吉 永井福藏 内田政吉 内田吉五郎 内海房吉 落合度定 落合杢三郎 尾上榮太郎 尾上艶治 大貫寅之助 大貫儀三郎 大谷竹吉 大熊惣次郎 小俣茂吉 小澤五郎次 窪田瀧造 柳田米吉 安田豊吉 古郡八五郎
古郡定家 古郡真作 二見平吉 二見嘉藤 二見清直 二見清四郎 二見善吉 古泉?藏 小泉七之助 小針文藏 出井奥次郎 青木長治 青木栄太郎 青木信三 安藤民吉 安藤八重藏 相原熊太郎 左藤寶五郎 佐藤金藏
齋藤浦吉 三田忠藏 吉川幣三 木嶋佐重 遊作千代吉 遊作悦造 水嶋音次郎 宮代利七 宮代宗次 新戸勝造 新戸幸吉 清水梅太郎 清水久勝 廣ア吉之助 森谷粂治郎 清田兵藏 清田長吉 清田幸太郎 清田所作
鈴木梅吉 鈴木喜一 鈴木菊次郎 鈴野與五郎 壁嶋爲造
暴徒鎮壓
落合長太郎 平本米藏 鴨志田大一
大正三年乃至九年役
猪熊金重 濱田貞良 橋本登喜 中野市太郎 古郡長次郎 古泉繁次 安藤茂保 宮臺歳 清水忠光 鈴野要藏
尼港事変
吉川京一 鴨志田虎治 鴨志田清久
霧社事変
平本愛吉
市川吉藏 和田千代 鴨志田頼亮 橋八重太郎 木國三 佐野春一 木嶋隆三 森功
昭和八年三月十日有馬村建之」