鈴木菊次郎さんは、日露戦争に従軍。近衛歩兵第四聯隊補充大隊に編入され輜重兵として物資の輸送に従事。明治37年9月21日鳳王城兵站病院で病死された。行年22歳。父親が明治41年3月20日に建立。
碑高205p、幅90p、厚さ20p、台石35p、基壇50p
所在:本郷地区民地(海老名市)
(刻字)
碑正面:「忠勇 陸軍近衛輜重兵鈴木菊次郎命碑 明治四十一年三月廿日 靖国神社宮司從六位勲六等加茂水穂書(印)」
裏面:
「姓鈴木名菊次郎利七長男明治十八年三月十八日生幼而温順在家能仕父母出外從長者郷人稱其行爲明治三十七年六月十五日應充員召集近衛歩兵第四聯隊補充大隊編入時将興露構難也□故仝年七月十日上膺懲途同月十四日上陸清國盛京省大孤山経李家屯等要地塞馬集兵站部指揮之下輸送開始□來耐烈暑艱苦克從事負傷将卒糧秣輸送進越摩天嶺險悪坂路属□水站兵站司令部時恰會遼陽激戦輸送最頻繁勤務激甚□不屈精神全任務其功實偉大然戦半君不幸而侵病魔呑怨入院鳳王城兵站病院而薬石無効九月二十一日成黄泉之客雖然英霊長可護皇墓嗚呼遺烈□々亀鑑永 年二十二歳□其大略記耳
明治四十一年三月 阿姜山主中僧都中□行信書
功徳主 鈴木利七 石工師 秋本信太郎重明」