立地から、旧長生郡豊田村の忠魂碑と推測できる。建立は大正2年6月。台座正面に刻字があったと思われるが風化により全く判読できず、詳細は不明。現在は、玉垣で囲まれた一画の中心に忠魂碑、左に招魂碑、右に石灯篭1基が設置された慰霊の空間になっている。招魂碑は戦後の建立で碑正面に100柱の戦没者銘が刻まれている。
招魂の碑と灯籠は戦後の昭和25年の建立であることから、忠魂碑はもと別の場所にあったものを招魂碑の建立に合わせて移設し一緒にしたものと推測している。
揮毫は木越陸軍中将。大正元年には陸軍大臣も拝命している。
所在:豊田小学校隣接地(茂原市)
【忠魂碑】
碑高295p、幅65p、厚さ45p、台石64p、基壇57p
(刻字)
碑正面:「忠魂碑 木越安綱書」 右面:「大正弐年六月」
【招魂碑】
碑高163p、幅70p、台石35p、基壇35p
(刻字)
碑正面:「招魂 (若菜謙治郎ほか99柱の氏名)」
裏面:
「昭和貮拾五年七月 板倉中務敬書 椿年刻」