追悼征清戰死者之碑(深川公園)

軍事遺物

この碑は深川區(現在の江東区)出身の日清戦争の戦没者10柱を合祀する忠魂碑で、同区の有志によって明治29年11月21日除幕された。合祀者のうち2名は、下関条約後の台湾平定の戦い(乙未戦争)での戦没者である。
揮毫の奥玄寶とは、天保7年泉佐野生まれの実業家奥三郎兵衛のこと。蘭田という号も持つ。深川で肥料問屋廻米問屋を経営する実業家で東京商業会議所の副会頭も務めた。 塩原に別荘「静寄軒」を構えて、明治23年「塩渓紀勝」という書籍で塩原を最初に紹介したことでも知られる塩原三恩人の一人。
深川公園は富岡八幡宮の別当であった永代寺(明治の神仏分離令で廃寺)の跡地に明治6年に開園した我国初の公園のひとつである。隣接して日露戦争戦没者の忠魂碑も建てられている。
所在:深川公園(江東区)
(刻字)
碑正面:「追悼征清戰死者之碑  奥玄寶謹書」
碑裏面:「明治廿七年十一月傷旅順口之戰同廿七日死 陸軍歩兵上等兵 松ア榮次郎
明治廿七年十一月十八日戰死于土城子 陸軍歩兵一等卒 加瀬徳藏
明治廿七年十一月十八日戰死于土城子 陸軍歩兵一等卒 吉政友吉
明治廿七年十一月廿一日戰死于旅順口 陸軍歩兵一等卒 小松常松
明治廿八年二月廿四日 戰死于東七里溝 陸軍歩兵一等卒 井上徳次郎
明治廿八年四月十六日 死于澎湖島陣中 陸軍歩兵少尉 松村喜平次
明治廿七年十二月卅一日 死于金州陣中 陸軍歩兵一等卒 田中辨太郎
明治廿八年一月廿三日 死于復州陣中 陸軍輜重兵ニ等卒 石川保馬
明治廿八年十月二日 死于臺北陣中 近衛輜重輸卒 矢澤治郎吉
明治廿八年十月三十日 死于嘉義陣中 陸軍看護卒 横山萬藏
明治二十九年十一月 深川區有志者建之」