昭和20年7月9日に行われた和歌山空襲の殉難者の供養塔である。昭和28年5月に建立された。この空襲では、死者1,208名、重傷者1,560名、軽傷者3,000名、行方不明者216名という大きな被害を出している。この場所は、空襲時に空地であったため、ここに避難していた748名の方が熱波で亡くなったという因縁の場所である。供養塔の背後には基壇の上に建立された菩薩石造が安置されている。菩薩像の台座正面に和歌山市長の碑文、裏面に願主である和歌山新聞社長の碑文が刻まれている。
所在:汀公園(和歌山市)
(供養塔刻字)
正面:「(梵字地・水・火・風・空)爰寶塔者爲戰災殉難者各靈證大菩提也」
左面:「願以此功徳平等施一切同発菩提心往生安楽國」
右面:「光明遍照十方世界念佛衆生攝取不捨」
裏面:「昭和二十年七月九日没」
(碑文)
正面:「太平洋戰爭の戰勢いよいよ急迫を告げる昭和二十年七月九日 米軍飛行機B29の大編隊わが市に来襲し 深更三時間に亘って焼夷攻撃を恣にした
市街は紅蓮の炎に包まれ焦熱地獄 阿鼻叫喚の巷と化し此處約千五百坪の空地に避難する市民無慮数千 忽ち大旋風吹き起つて四辺の猛焔凄烈を加へ
無残非業に倒れる市民七百四十八名に上る
後市内に散在した戰災犠牲者の遺体を併せ 累計千数百体を荼毘に附してここに合同埋葬した
実に和歌山開市以來の大悲惨事にして 戰爭の惨虐また説くに忍びない
乃ち供養塔建設會成つて大慈大悲の尊像を安置し謹みて無辜にして戰爭の犠牲となつた市民の靈を慰め 平和の悲願達成を祈るものである
昭和二十八年五月 和歌山市長 垣善一謹書 伊勢橋 久保石材店謹作 」
(裏面):「昭和廿年七月九日夜太平洋戦爭の魔手は遂に南国の理想郷和歌山市の上に伸び家を焼き人を殺し其惨禍恰も地獄図絵に似て眼を掩わしむ其夜難をこの地に避けたる者不幸にして戦火の犠牲となり地下に骨を埋む
鬼哭愁々悲しくも亦痛ましき哉 此の戦爭犠牲者に対し終戦後の混迷にも拘らず佛教会の奉仕により法要を怠らず且は有志相寄りて供養塔建設期成会を起し普ねく淨財を集め焦土を整備し努力精進する事久し幸にして久保吉光君の協力により昭和廿八年一月廿五日建設の工成る慈悲菩薩の尊像在します処緑樹の陰に彩花を点ず誠に平和の楽園なり
諸霊永へに安住の地とならば関係者の喜びこれに過ぎず刻して萬代に伝えんと爾云
願主 和歌山新聞社 小畠正幸 昭和廿八年七月九日」