顕彰碑 満蒙開拓青少年義勇軍(和歌山県護国神社)

軍事遺物

和歌山県出身の満蒙開拓青少年義勇軍の顕彰碑である。数え年16歳から19歳までの男子を開拓移民として募集し、訓練を施し満洲に送る事業であった。昭和13年から始まり終戦まで8万6千人もの青少年が送り出された。募集人数は県別に割り当てられ、和歌山県からは総数1500人を超える若者が送出された。碑は昭和38年10月12日に建立され裏面に和歌山県知事の碑文が刻され、碑の前面には和歌山県拓友会による副碑が添えられている。
所在:和歌山県護国神社(和歌山市)

(碑文)
正面:「顕彰碑 満蒙開拓 青少年義勇軍 和歌山縣知事 小野真次謹書」
裏面:「昭和十二年十一月三十日満洲建國の一翼を担う平和部隊として青少年義勇軍を訓練送出することが國策として決定せられ昭和二十年迄に總数八万六千有余名が送出された之等十五六才の青少年達は義勇軍綱領「我等義勇軍は天祖の宏謨を奉し心を一にして追進し身を満洲建國の聖業に捧げ神明に誓って天皇陛下の大御心に副ひ奉らんことを期す」を□奉してひたすら心身をかため世界青史に燐として輝く基礎を着々かためつゝあった秋予期しない終戦によって世紀の偉業は屯挫し言語に絶した犠牲は永久の礎石として現地に残ったのであるわが和歌山県選出の義勇軍千五百有余も此の聖業に参劃し自ら刻んだたくましい拓魂は今新しい意氣と力となって生きている 茲に同志相計らい顕彰碑を建てゝ後世に伝えるものである 昭和三十八年十月十二日 和歌山県選出隊員一同」

副碑 「土の戦士として大陸に渡り第二の故郷建設と北辺鎮護の任務を遂行中 不幸にして若い命を国に捧げた亡き拓友のみ魂永久に安らかに 和歌山県拓友会 昭和三十八年十月十二日建碑 昭和五十四年三月二十日改修」