軍艦河内殉難者之碑(馬門山墓地) |
軍事遺物 |
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軍艦河内は、明治45年、横須賀海軍工廠で建造された排水量20800トンの日本初のド級戦艦である。大正7年7月12日、山口県徳山沖で火薬庫の爆発によりに沈没した。軍艦筑波爆沈の翌年であった。乗組員1059人の内、死者621人という大惨事であり、碑は、翌大正8年2月に建立された。揮毫の正木義太とは、爆沈当時の河内艦長であり、後、海軍中将に進んだ。 台座の周囲には殉難者のうち行方不明者の階級・氏名が刻まれている。 なお、多くの遺体が流れ着いたという徳山湾の仙島にも高さ10mもの慰霊碑が建てられている。 碑高210p、幅60p、厚さ60p、台石65p、台座90p。 所在:馬門山墓地(横須賀市) (刻字) 碑正面:「軍艦河内殉難者之碑」 碑裏面:「大正七年七月十二日爆沈 大正八年二月建之 正木義太書」 台石正面: 「殉難者海軍機関中佐 飯島□□□五名士官十一名□□官五名士官二十名下士□□七十一名傭人九名 内遺体未収容者氏名 海軍主計少監 伊藤寛甫 海軍機関少尉 渡部丈太郎 海軍兵曹長 川瀬□□ 海軍上等兵曹 小野弥太郎 入江宜治 鈴木淳一 加藤甚之助 海軍上等機関兵曹 小野寺仁右衛門 松尾甚吉 □□次郎 台石 □□□兵曹 近藤繁一 矢橋義郎 土方友次郎 奥山海三郎 伊藤許之 海軍ニ等兵曹 山田新五郎 □地錦左武良 佐藤七郎 仙田清夫 中村才次郎 渡邉廣吉 土井善蔵 齋藤清一 千葉寅二郎 橋□□郎 千□□誠 平野□三郎」 台石左面: 「□□□太郎 □□□等兵曹 山下宗次郎 小野文吾 菊地政一郎 茅根二郎 菊地清太郎 大川喜藏 渡邉元松 長濱濱吉 金原米□ 海軍ニ等機関兵曹 芳賀啓正 名倉芳太 野崎年 海軍三等機関兵曹 谷津政雄 菅原留次郎 小俣健作 矢澤春太郎 瀧□一 □□福彌 三木□□郎 海軍三等□□□ 橋勝治 海軍一等尉□ 橋恵□吉 海軍一等水兵 味岡武一 滝本久太郎 鈴木正己 清水守雄 □藤喜一郎 渡邉□吉 門脇勝右エ門 小澤信齊 青木捨三郎 中島清□ 海軍ニ等水兵 竹川寛一 千葉三樹三郎 □木秀吉 白鳥□祐 野島□七」 台石裏面: 「□□喜一 □□清市 山田積善 川口喜伴 秋山忠信 佐藤直蔵 海軍三等水兵 石垣榮 片岡武雄 松枝與三郎 伊藤金之□ 佐竹仁右エ門 海軍一等機関兵 渡邉喜太郎 相羽喜市 石橋信 杉田武一 坂下三助 菅原雄治郎 鈴木治次 □□幸七 海軍ニ等機関兵 関□孝 岡澤□□ 坂本剛男 苫米地正悦 須山正太郎 小林與 鷲頭多吉 北山邦麻呂 河合時治 細田徳次郎 飯村政雄 橋久太郎 矢畑卯兵衛 石田藤太郎 都築音太郎 山田良作 海軍三等機関兵 茂木今朝松 田谷平四郎 中村覺 佐藤□一 西村□一」 台石右面: 「有□□太郎 大□金吾 日下聲一 小倉兼次郎 菅生武夫 齋藤寅義 八巻武右衛門 磯野新二 田部久光 加藤秦次郎 中嶋賢一 金成熊□□ 海軍一等主厨 成田秀四郎 海軍ニ等主厨 鈴木新 割烹 矢尾板佐九治 給仕 菱田彦兵二 中澤幸二」 |