大正13年5月31日払暁、赤坂にあった米国大使館隣接地の焼け跡(井上子爵邸)で割腹自殺を遂げた士人があった。当時は、日本国挙げてアメリカの「排日移民法」の不法に憤っていた時期であり、抗議のために自ら命を絶ったのである。
遺体は警察が引き取ったが、このままでは行旅死亡人として取り扱われることを知った黒龍会が遺体を引き取り、その後の処理を行った。
即ち、両国国技館で対米問題国民大会を開催、その決議をもって、6月7日、頭山満、内田良平、田中弘行を発起人代表として「無名烈士国民弔祭会」を青山斎場で開催し、青山共同墓地に埋葬した。1万余の参列者を数える盛況ぶりであったという。
翌、大正14年の一周忌には、隣接する陸軍墓地に新たに立派な石碑を建てて改葬した。これが現在の墓標である。
正面には頭山満の書で「嗚呼無名烈士之墓」と刻まれ、裏面には、内田良平の碑文が記された。
墓地は黒龍会(昭和21年解散)が管理を行ってきたが、昭和30年に区画整理のために現在地に移転した。
碑は、2か所折れた個所を継いだ跡があり、また裏面の碑文は、最初の碑文の上にモルタルを塗り重ね、新たに碑文が刻まれている。
碑高291p、幅55p、厚さ45p、基壇52p
所在:青山霊園(港区)
(刻字)
碑正面:「嗚呼無名烈士之墓」
裏面:「大正十三年五月三十一日米国排日ノ亡状ヲ憤リ米国大使ニ遺書シテ其反省ヲ促シ同大使館側ニ自刃シタル無名烈士ノ墓 昭和三十年四月二十四日ニ種イ九号地ヨリ改葬 元建設者對米同志會頭山満内田良平等」
台石正面:「雄心院義膽日忠居士」