警視第六方面第一分署戦死士招魂之碑(青山霊園)

軍事遺物

西南戦争に出征し戦死された東京警視本署(警視庁)第六方面第一分署の警視隊の警官28柱が合祀された招魂碑である。揮毫の源慶永とは、幕末の四賢侯の一人、福井藩主松平春嶽である。 碑文によると明治10年12月葛飾郡数矢町(現在の江東区富岡2丁目)に建立されたとあるが、その後青山霊園の警視庁墓地に移設されたようである。 たぶん、明治12年、警視庁が西南戦争で戦死された警察官を葬る目的で青山霊園に警視庁墓地を設置したため、西南戦争の戦死者ということでここに移したのであろう。碑文を書いた柯亭とは、会津藩士の武井柯亭である。
所在:青山霊園(港区)

(刻字)
碑正面:「警視 第六方面 第一分署 戦死士招魂之碑  正二位源慶永書」
碑右面:「戰死人名
陸軍中尉兼三等大警部 由比文在 警部補 伊地知季利 一等巡査 菅村理 ニ等巡査 大石義 同 稱津金治 三等巡査 山口左五郎 同 土岐津遠 同 大木清治 同 齋藤重徳 同 中山喜一 同 橋波弥太 同 伊藤悦之進 四等巡査 太田正 同 村田武行 同 品川湊 同 相徳彬 同 一鬼弘周 同成田六之助 同 横山良□ 同 和田□□ 同 前波立樹 同 小山内清作 同 小倉大助 同 片岡淳之介 同 伊丹石造 同 西村錠次郎 同 北野重藏 同 生田_太郎」
碑裏面:「 明治十年二月西郷隆盛起兵将薄京畿勢猖獗極残虐人 民多被害於是 王師征討我警視官吏又執兵從焉隆盛 抗之轉戰於肥薩日隅豊諸州者過半歳矣官軍将士死之 者以百數我同署諸子廿八人亦在其中也既元兇授首□ 王師凱旋乃大行招魂典祭禮甚厚然我輩同志之情義有 未□己者是以相議建碑於武藏國葛飾郡數矢街葬地以 慰靈魂併傳其芳名不朽云明治十年十二月  柯亭書」

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