鎮魂の碑(東京ドーム)

軍事遺物

第二次世界大戦に出征し、戦死されたプロ野球選手の慰霊の碑。下田コミッショナーはじめ有志各位の協力により、昭和56年4月、旧後楽園球場脇に建立された。昭和63年3月の東京ドーム完成によって現在の場所に移された。
主碑と副碑の対で建てられており、主碑には戦没選手76名の氏名、副碑には遺族代表石丸藤吉と有志代表鈴木龍二の碑文及び有志者の氏名が刻まれている。因みに有志者の肩書は次の通り。
池田恒雄(ベースボール・マガジン社社長)石丸藤吉(親和交通社長)下田武三(日本野球組織コミッショナー)鈴木龍二(セントラル・リーグ会長)角屋久次(新潟県県会議員)保坂誠(後楽園スタヂアム社長)
所在:東京ドーム(文京区)

(刻字)
主碑:「鎮魂の碑  日本野球組織コミッショナー下田武三 〜戦没選手76名の氏名〜」
副碑:
「追憶 弟進一は名古屋軍の投手。昭和十八年20勝し、東西対抗にも選ばれた。 召集は十二月一日佐世保海兵団。十九年航空少尉。神風特別攻撃隊、鹿屋神雷隊に配属された。二十年五月十一日正午出撃命令を受けた進一は、白球とグラブを手に戦友と投球。  よし、ストライク10本  そこで、ボールとグラブと”敢闘”と書いた鉢巻を友の手に託して機上の人となった。愛機はそのまま南に敵艦を求めて飛び去った。  野球がやれたことは幸福であった 忠と孝を貫いた一生であった 二十四歳で死んでも悔いはない  ボールと共に届けられた遺書にはそうあった。真白いボールでキャッチボールをしている時、進一の胸の中には、生もなく死もなかった。   遺族代表 石丸藤吉」
「第二次世界大戦に出陣し、プロ野球の未来に永遠の夢を託しつゝ、戦塵に散華した選手諸君の霊を慰めるためわれら有志あいはかりてこれを建つ   有志代表 鈴木龍二」
「この碑の建設にあたり協力したる有志の人々 池田恒雄 石丸藤吉 下田武三 鈴木龍二 角屋久次 保坂誠   昭和五十六年四月」

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