硫黄島の戦いにおける日米両国戦没者の慰霊碑である。海上自衛隊横須賀教育隊の構内に平成4年3月17日に建立された。この場所は武山海兵団の旧地であり、当時、硫黄島に赴任する兵員が招集されていた縁で建立されたもの。
毎年6月に、硫黄島戦没者追悼式及び海軍予備学生顕彰式が行われている。碑文中、『 海軍』のスペースには二重波線の海軍記号が入る。
所在:横須賀教育隊(横須賀市)
(碑文)
「鎮魂
先の太平洋戦争での硫黄島の攻防戦は過去の島嶼局地戦としては世界戦史に比類を看ない最も熾烈を極めた悲惨な戦斗である。
陸軍中将の指揮する陸軍将兵と軍属合計一万二千七百二十三名及び第二七航空戦隊司令官市丸利之助海軍少将の指揮する海軍南方諸島航空隊兼海軍硫黄島警備隊司令井上左馬二海軍大佐以下の海軍将兵と軍属合計七千四百六名は、最精鋭を誇る米軍を邀え撃ち連日連夜の昼夜を分かたぬ激戦を展開し、昭和二十年三月十七日二十四時を期して最後の総攻撃を敢行し玉砕した。
一方米軍は数ヶ月間に渉り機動部隊を含む五百余隻からなる艦隊と膨大な空軍に拠る砲爆撃を加えた後、昭和二十年二月十九日九時より海兵隊三個師団及陸軍合計七万五千有余名が上陸を決行し、僅か二十七日間の地上戦闘に於て戦死者合計六千八百二十一名及び戦傷者合計二万一千八百六十五名を数える莫大な犠牲者を出した。
此処に建つ『 海軍』の標識は海軍硫黄島警備隊本部壕前に設立された在ったものであり、米軍の火炎放射器による焼跡も生々しく往時の激戦の状況を物語っている。
こゝに日本並び米国の硫黄島戦没者の霊代として此の『 海軍』の標識を建立し、謹んで御霊の安らかな鎮魂を祈念すると共に衷心より哀悼の意を表し冥福を祈るものである。
平成四年三月十七日」
隣には、天皇皇后両陛下の硫黄島慰霊行幸啓の記念碑が建てられている。両陛下が終戦50年にあたり硫黄島を訪問された事を記念したもの。
(刻字)
表面:天皇陛下 皇后陛下 硫黄島慰霊行幸・行啓記念
左面:平成六年二月十二日
裏面:硫黄島協会 会長 遠藤喜義 平成六年三月十七日植樹
慰霊碑と硫黄島から移設した海軍標石
両陛下行幸啓の記念碑
両陛下が硫黄島で詠まれた御製。天皇陛下は、「精根を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき」。皇后陛下は、「慰霊地は今安らかに水をたたふ如何ばかり君ら水を欲りけむ」
。
現在、硫黄島は自衛隊基地となっており、原則一般人は入島できない。これまで駐屯していた隊員の間でさまざなな霊障の噂があったが、両陛下の慰霊後は非常に少なくなったという。