阿治古神社は旧網代村の神社で、熱海市無形文化財に指定されている鹿島踊り知られる。
この慰霊津は、境内入って右手高台に昭和27年10月に建立されたもので、旧網代村出身の日清戦争から大東亜戦争までの戦没者170柱を合祀しており、塔の左右に戦没者170柱の氏名が刻まれている。
なお、令和4年に新たに、この慰霊塔を平和のみちしるべとして存続させていくことの意義を訴える説明板が建てられた。
所在:阿治古神社(熱海市網代)
(刻字)
塔正面:「慰霊塔」
右面:「戦没者(90名の氏名)」
裏面:「戰没者(80名の氏名)」
台座背面:
「建設委員
顧問(3名)、委員長(1名)、副委員長(2名)、委員(22名)
昭和二十七年十月建設
施工者 平井福太郎 青木建設株式會社」
(説明板)
「平和への道標
この慰霊碑は大東亜戦争で、亡くなられたご英霊百四十六柱と、日清、日露、支那事変の二十柱のご英霊と、漁労中に爆撃に遭われた四人の方、併せて百七十人の旧網代町出身の方々を合祀しています。
ご英霊はあの磯の蝦も蟹も、捕まえ損ねた魚たちも、父母妻子やここに住む人々が、豊かで穏かな日々を暮せる、網代の海の糧になれよと願って、全町民の歓呼の励ましと万歳で、網代駅から送り出されたその先は、生きたくても生きられない、無残な戦場であった。銃弾飛び交い飢えと極寒や灼熱の場から、この海辺にも網代駅にも、誰も戻ってこなかった。
この阿治古のお社見上げるように瞼に浮ぶ父母妻子に、別れを告げることなく斃れて逝ったご英霊に、感謝を込めてこの碑を歴史遺産として、鹿島踊りと共に後世に残しましょう。み霊讃える人々にこの碑は、戦争の無い国目指して、一日一日を大切に生きてくれよと、囁いています。
令和四年九月吉日
熱海市戦没者遺族会網代地区
熱海市網代地区住民一同」