逗子市と鎌倉市の市境付近、逗子市側の海岸沿いの崖地に海軍が設けた洞窟砲台があった。15pカノンを2門備えたもので小坪洞窟砲台という。終戦直後の昭和20年10月20日、放棄されていた砲台の内部で爆発事故があり近所の子供たちが大勢犠牲となった。
子どもたちが遊びに入っていた時に内部に残っていた火薬が爆発したのだ。
この事件は戦争直後の混乱期であり、記録もほとんどなく報道もされなかったため、関係者以外には長い間知られることはなかった。昭和48年、地元の児童文学作家である野村昇司さんがこの事件を扱った「砲台に消えた子どもたち」という作品を紹介したことで世に知られるようになった。地元の市民団体もこの事件を後世に残そうと活動を始めたことなどが契機となって、遺族の方々によって事故から79年を経た令和6年10月20日、事故現場に慰霊碑を建立し、慰霊祭が執り行なわれた。
碑高:83.5p、幅:40p、厚さ:6p、台石高:10p、基壇高:12p
所在:小坪(逗子市)
(刻字)
碑正面:「砲台に消えた子どもたち 慰霊碑」
碑裏面:「令和六年十月二十日 小坪砲台事故遺族会」

慰霊碑の背後の崖に小坪洞窟砲台が築かれていた、まさにここが事故の現場であり、犠牲者の数は当初14名とされていたが、その後の調査の結果16名であることが判明している。砲台は埋められており、また側に立ち入ることもできない。
