供養塔(久里浜少年院) |
軍事遺物 |
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戦後、海外に取り残されていた数多くの軍人、軍属、一般人の引揚が行われた。 浦賀港も多くの引揚者を受け入れたが、昭和21年4月以降の引揚者から大勢のコレラ患者が発生した。そのため、久里浜に検疫所を設け(海軍対潜学校敷地)、一大防疫体制が取られたが、多数の死者が出た。これらの死者は検疫所に設けられた急造の火葬場で火葬にされたという。 昭和24年に久里浜少年院の建設工事にあたり当時の遺物が発見され、当時の所長が、火葬場に使っていた大谷石を用いて、昭和25年3月に久里浜少年院の北側海岸寄りに供養塔を建立した(浦賀港引揚船関連写真資料集 横須賀市発行による)。 供養塔の前にはコレラで多くの仲間を失った肝七八二九部隊が昭和44年9月に奉納した灯篭が建てられている。 引揚関連の石碑はこの他に、西浦賀みなと緑地に浦賀港引揚記念の碑が、久里浜長安寺に浦賀引揚援護局引揚者精霊塔が建立されている。 (刻字) 碑正面:供養塔 碑裏面:昭和二十一年外地引揚物故者の為に 久里浜刑務所長田中繁太郎建之 昭和二十五年三月彼岸 |