慰霊碑(深沢地区) |
軍事遺物 |
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深沢地区(現鎌倉市笛田)の戦没者136柱を合祀する慰霊碑。地区の戦没者慰霊のために提供された敷地に建立されている。昭和31年9月に建立されたが、荒廃し、昭和54年3月改修された。
碑正面には、「慰霊碑 大僧正 梶原 寿仙」。裏面には「深沢地區戦歿者氏名」として136柱の戦没者の階級と氏名が刻まれている。また、礎石には特殊寄付芳名録が刻まれている。 碑の脇には改修時に碑の由来を記した碑が建てられている。記されている由来は次の通り。 「慰霊塔の由来 この塔は、日清戦争、日露戦争、第二次世界大戦等に参加し、武運つたなく不帰の客となった地元出身者を合祀する戦没者の慰霊塔である。 昭和二十年八月、第二次世界大戦に敗れた日本は、アメリカ合衆国の占領下におかれ、終戦処理と国家の建直し政策が行われた。そのため、地区の自治会組織は解消され、戦没者の慰霊祭を行うことも遠慮する状態となった。そこで、深沢地区内寺院住職により托鉢を行い、基金を集め、細細と供養を行ってきた。 その後、昭和三十一年に至り、地区有志の間で慰霊塔を建立し、戦没者の霊を慰めようという声が起こってきた。 この趣旨に賛同した笛田の嶋村政一氏が、敷地の提供を申し出られたので、これを機会に地区有志の方々が、広く地区内外より寄付を求め、九月この地に戦没者慰霊塔が建立され、以来、今日まで供養を続けてきた。 しかし、年を経るにつれ、周囲は破損してゆく状態で、このまま放置すると、せっかくの慰霊塔も荒廃してゆくのではないかとの憂慮の声が、有志の間に起こり、たまたま終戦三十三年に当たる今年三十三回忌法要を行うを機会に、地区有志により実行委員会をつくって、地区民より浄財を仰ぎ、整備改修を行った次第である。 昭和五十四年三月 深沢地区戦没者慰霊塔整備実行委員会 鎌倉市教育委員会委員 内海重保 謹書」 | |