忠魂碑(東林寺)

軍事遺物
戻る

この碑は元々、愛宕園(愛宕山公園)に日清戦争の戦病死者の忠魂のために明治30年3月に建立されたものである。
関東大震災により碑は倒壊したが、昭和初期(御大典記念として昭和3,4年頃と推測)に高坂小学校校庭に移された。
戦後の混乱で引き倒され放置されていたのを、昭和24年3月に井上亀之助が小学校裏山に立て直したが、その際、碑の両側に昭和になってからの戦没者も併せ慰霊するために昭和事変英霊の碑を建立した。その後、昭和38年10月15日に、現在地に移された。建立当初に合わせ建てられていた建設発起人の碑は、現在は忠魂碑の裏にある。
なお、忠魂碑左手には、碑の再建に尽力した井上亀之助顕彰の碑が建てられている。
所在:東林寺(横須賀市)

<忠魂碑>
碑高352cm、幅120cm、厚さ20cm、基壇64cm
(刻字)
碑正面:「忠魂碑 陸軍大将正二位勲一等功二級侯爵 大山巌書」

<建設発起人碑>
碑高156cm、幅107cm、厚さ13cm
(刻字)
碑正面:
「忠魂碑建設發起人
 臼井儀兵衛 宮井清左衛門  太田又四郎 宮井與右衛門 三次六兵衛 増田太兵衛 加藤小兵衛 臼井辰右衛門 栗生太四郎 穴澤與十郎
委員
 長島忠左衛門 鹿目常吉 上坂伊之助 加渡田忠兵衛 平野吉兵衛 橋本益太郎
 赤井久兵衛
明治三十年三月竣工」

<昭和事変慰霊の碑(一対)>
(刻字)
碑正面:「昭和事變英霊(戰病没者英霊名)」
碑裏面:「昭和貳拾四年参月吉日」

<灯篭(一対)>
全高166cm
(刻字)「御大典記念 浦賀町老兵會」
<井上亀之助顕彰の碑>
碑高75cm(中央部)62cm(左右)、全幅205cm、基壇24cm
(刻字)
碑正面:
「井上亀之助氏顕彰碑
およそ、人の真価は事ある時に顕われる。意志の人、勇気の人、義侠の人、それは故井上亀之助氏その人である。戦後進駐軍の占領政策は厳しく教育の場から忠魂碑をも奪った。しかし、これを顧みる余裕すらなかった当時の世情こそあわれという外はなかった。放置された忠魂碑、これを見るに忍びず井上氏は私財を投してこれを弁天社に移した。さらに参詣者の便をはかり再びこの境内に移して英霊を守り通したのである。今は亡き井上氏しかし氏の義挙は生きている。いや、いつまでも不滅であろう。われわれは祈る。英霊永えに安らかなれと。
昭和三十八年十月十五日 建設委員會建立」