呑龍地蔵大菩薩(円覚寺)

軍事遺物
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呑龍(百式重爆撃機)とは、陸軍の重爆撃機で九十七式重爆撃機の後継として、昭和16年に採用された。この地蔵は「呑龍」部隊であった飛行第74、95戦隊の生存者によって、昭和52年、戦病没英霊の供養のために、円覚寺塔頭桂昌庵に建立された。
地蔵の脇には建立趣旨の書かれた板碑が添えられている。
刻字は以下のとおり

「呑龍地蔵大菩薩 呑龍(百式重爆撃機)を操り、大東亜の空を雄飛し、フィリッピン作戦では、数次に亘るレイテ、ミンドロ爆撃を、殉国の士は菊水特攻隊を編成し、敵機動部隊に必殺の肉彈体当り攻撃を敢行し、或はタクロバン敵飛行場に空挺隊員と共に強行着陸して斬込隊となる。尚又残留部隊は瘴癘の地、良く飢餓に堪え、多勢の敵に勇戰、遂に悠久の大義に就く、まさに鬼神を泣かしむ。幸に本日我等の悲願成り、呑龍地蔵大菩薩を開眼し、戰病沒全英霊の供養を爲す。呑龍地蔵大菩薩希くは世界の平和と、我等戰友の至福と日本民族の繁栄を護り給え。
昭和五十二年三月二十日
第五飛行団 飛行第七十四戰隊 飛行第九十五戰隊 生存者一同」