故海軍大尉香山君碑(顕正寺) |
軍事遺物 |
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浦賀奉行と称して、ペリー艦隊との交渉にあたり、アメリカ側から高く評価されたと伝えられる香山栄左衛門の長男である香山永隆さんの顕彰碑。旧幕府の軍艦役であったが、その才能から維新後の明治3年朝廷に召しだされ、翌年海軍大尉に昇進した。
香山留次郎氏(子息ではないだろうか)によって明治13年8月建立された。 碑高:125cm、幅93cm、厚さ18cm、台石40cm 所在:顕正寺(横須賀市) (刻字) 碑正面:「故海軍大尉香山君碑 故海軍大尉香山君舊幕府相州浦賀港與力諱永孝之子母岡田氏天保十一年生于浦賀嘉永六年米國来逼乞貿易幕府令厳海防以備不虞君受命戌同港明神ア砲臺後幕議決和親海防觧厳安政二年蘭人厭軍艦於此君受命與麾下之士數人往長ア受海軍術于蘭人□學成東歸幕府以為軍艦役實為皇國海軍術之權輿明治元年徳川幕府奉還大政于朝庭徒封于駿遠参君決志歸農卜居于都之北方巣鴨以謀其終明治三年朝庭召為海軍術教授其四年累進至正七位海軍大尉□茲十三年二月廿九日病没于官君諱永隆為人沈静而有才思事親至孝善書畫配萩原氏生五男四女銘曰 事親至孝 於後有餘 勤業為國 海軍權輿 明治十三年八月 清水徳馨撰并書 井亀泉鐫」 碑裏面:「香山留次郎建之」 |