日向ヶ丘団地造成記念碑(船越8丁目公園)

軍事遺物
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元来平地の少ない横須賀は海軍施設の拡充による人口増加に対して無計画であったため、谷戸の奥を上に向かってひな壇上に開発し宅地としていった経緯がある。また、宅地造成についても要塞地帯法により多くの制限がかけられていた。 その結果、今でもがけ崩れの危険地域が大変多い。
横須賀北部の船越、追浜地区も沿岸部全域に海軍工廠造兵部や空技廠などの海軍施設が立地し、谷戸に沿って住宅が増えて行った。
この日向地区では戦後、地主が集まり力を合わせて、崖崩れ等の災害が生じないよう宅地造成を行ったという。このことを記念して昭和55年9月に建立された碑である。
なお、この場所には海軍の日向山高角砲台が大戦末期に築かれたが、この造成により消滅した。
碑高129p、幅213p、厚さ18p、台石20p、基壇60p
所在:船越8丁目公園(横須賀市)
(刻字)
碑正面:
「日向ヶ丘団地造成記念碑
 この辺りは 元海軍要塞地帯であり 海の見える土地の開拓 や家屋の新築は制限されており 海軍の増強と共に急速に増加 した市民は 狭隘な谷間の山裾を削りとって開墾された谷戸を 住宅地としてきたが 切りとられた崖面は風化により 或いは 豪雨時の崖崩れとなる 災害多発地帯であった
 昭和三十九年 山林や畑の所有者三十有余名相寄り 従来よ りの禍根を絶つべく 標高七十三米の丘陵を切り下げる山取り 工事計画に着手し 爾来施工業者の変遷等いくたの問題に取り 組みつゝ 宅地造成用地提供協力 区画整理方式による地主団 は「日向ヶ丘住宅団地造成計画促進委員会」を組織し 初期の 目的達成に努力を重ねた
 幸い 港湾工事業者として東京湾に於ける随一の業績者であ 東亜建設施工業株式会社が本事業を継承され 海面埋立用土石 として船積み搬出総土量百五十万立法米余の画期的なオールカ ット工法により 在来の隣接住宅地の崖崩れ危険個所の取のぞ きを兼ねる 理想的な街造りを目標とした 総面積十三万二千 平方米余の名称「日向ヶ丘団地」が 工事関係者の良心的な熱 意と 近隣住民各位の地域改良に対する理解ある協力によって 完成したことは 一致団結して本事業を推進して来た私達地主 団の深く喜びとするところである
 これを記念し 永年に渉り事業達成に尽力された人々の内 本日のこの喜びを分つことなく物故された 霊位に謹んで報告 すると共に「委員会」に所属する左の者ら この碑を建つ
   昭和五十五年九月吉日」
以下、物故者、委員長、副委員長、相談役、事務局、事務局長の氏名が刻字されている。