大東亜戰爭後の記念碑(三嶋神社)

軍事遺物
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三嶋神社は昭和20年7月16日の平塚空襲により焼失したが、戦後苦労の末に再建された。このことを記念し、戦後60年の節目である平成17年6月に建立された。
全高140p。
所在:三嶋神社(平塚市)

(刻字)
碑正面:
「三嶋神社と大東亜戦争後の記念碑
昭和二十年七月十六日の戦災により 三嶋神社社殿一宇を始め須賀 地区は一面焼け野原になってしまいました。
同年二十年九月始め、当時宮総代並びに二十六区の区長であった 田中荘太郎氏と当時の宮司亀井八朗氏が相談の結果、何とか仮社殿 でも建てなければと戦後の材木の入手困難な時節、大山より苦心に 苦心を重ねて材木を入手し仮社殿を建てることができました。 現社殿は昭和二十五年になって当時の神社役員氏子中の奉賛により 建立されております。
戦災による焼失にもかかわらず神社社殿の歴史を一年をも断絶する ことなく現在に至っていることを考えますと、当時の役員田中氏と 亀井宮司の御苦労に心より感謝申し上げる次第です。
平成十七年が戦後六十年の年となる今日、右の記念としてこの碑を 建立し、末永く感謝の意を表します。
  平成十七年六月吉日    三嶋神社役員一同 記
  記念碑建立寄贈者 平塚市代官町二十九−三  田中荘太郎氏六女 神山淑子」
裏面
「北町総代氏子会長 加藤義夫 仲町総代氏子副会長 冨田富男 横町総代氏子副会長 山口義高
南町総代 小川賢一 西町総代 増尾三好 代官町総代 古田武 相談役 鳥海健治 北町町代 柳田佳男
横町町代 遠藤進 横町町代 山口泰路 仲町町代 田中浩 仲町町代 山田勝美 仲町町代 石井照一
南町町代 青木忠煕 南町町代 内藤光孝 西町町代 山田靖 西町町代 内海明 西町町代 谷田文男
代官町町代 和田富生 代官町町代 高橋信夫  宮司 柳田直継」