常陸丸殉難記念碑(靖国神社)

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日露戦争初期に起こった常陸丸事件(陸軍将兵を乗せた丸腰の陸軍徴用輸送船が、ウラジオ艦隊に砲撃され、多くの戦死者を出した事件)を後世に伝えるために建立された。 昭和9年10月、皇居北の丸の牛ケ淵にに建立されたが、大東亜戦争直後にGHQの指示で破却された。しかし、昭和40年11月15日、日露戦争60周年を記念して靖国神社の境内に再建された。
所在:靖国神社(千代田区)

(併設されている説明板)
「常陸丸殉難記念碑
 明治三十七年(一九〇四)日露戦争が勃発し、同年六 月十四日、後備近衛歩兵第一聯隊長須知中佐は、その第 二大隊と第十師団糧食縦列と共に、常陸丸に乗船して宇 品を出航し、勇躍征途に就いた。翌十五日午前十時頃、 沖ノ島附近に達すると、折からの雲霧の切れ間より突如 として三隻の敵艦が現われ、猛砲撃を加えてきた。もと もと海戦の装備を持たない輸送船のこととて、全く応戦 の術なく、忽ちにして船上は修羅の巷と化し、搭乗の山 村海軍中佐をはじめ、船長、航海士も相継いで斃れた。  野戦攻城にかけては鬼神をも取り拉ぐべき益良雄も、 海上では如何とも為し難く、今はこれまでと覚悟した聯 隊長は、皇城を遥拝し、軍旗奉焼した後従容として自決 し、大隊長山縣少佐以下一千有余名の勇士も、無念の涙 を飲んで玄界灘の波間に没した。  武備なき輸送船常陸丸の悲劇は、その後数々の詩歌に 歌われて広く人口に膾炙し、人々はその悲運の最期を悼 んだ。
 昭和六十一年六月十五日  殉難八十二周年慰霊祭にあたり誌す  常陸丸遺族会 全国近歩一会
 碑の裏面には、荒木貞夫陸軍大将の撰文揮毫による碑文が刻んである。」
(刻字)
碑正面:
「常陸丸殉難記念碑
元帥伯爵東郷平八郎 書 (花押)」
碑裏面:
「常陸丸殉難記
明治三十七年皇師海ヲ越エテ露ヲ征ス近衛後備歩兵第一聯隊長須知中佐亦其第二大 隊ヲ率ヰ第十師團糧食縦列ト倶ニ常陸丸ニ搭シ六月十四日宇品ヲ發シテ途ニ上リ翌 十五日未明関門海峡ヲ出ツ會ニ雲霧玄海ヲ蔽ヒ咫尺ヲ辨セス遠ク砲聲ヲ右舷ニ聞キ 戒心ヲ加ヘテ航行シ午前十時頃沖ノ島附近ニ達スルヤ突如敵艦三隻現ハレ我ヲ掩撃 ス我ニ應スヘキノ砲ナク一弾ヲ酬ユル能ハス死傷續出ス監督将校山村海軍中佐驀進 シテ敵艦ヲ衝カントシ令未タ畢ラサルニ殪レ船長運転士亦相踵テ死ス聯隊長復タ施 スニ術ナキヲ察シ遥ニ皇城ヲ拝シ軍旗及要書ヲ火ニシ衆ト訣シテ従容死ニ就ク山縣 少佐以下一千有餘ノ烈士萬斛ノ恨ヲ飲テ空シク海ニ浸シ忠魂長ヘニ天ニ歸ス爾來三 十年凛乎タル生氣猶人心ニ感孚ス因テ梗概ヲ勒シテ後世ニ傳フ
昭和九年十月           陸軍大将正三位勲一等功四級荒木貞夫撰」

「本碑ハ曽テ牛ケ渕ニ在リ偶々大東亜戦争終結ニ際シ破却セラル仍テ日露戦争六十周年ニ当リ此ノ処ニ 復興再建ス
昭和四十年十一月十五日  常陸丸殉難記念碑復興期成会」